【原稿】アメリカ・カナダ海外旅行雑感

【解説】令和元年7月4日記

当時文部省の短期派遣海外研修という制度があった。短期ということで、約15日間外国に派遣され、その国の教育を視察してくるのである。私も運よく派遣されることになった。アメリカ・カナダへの派遣研修である。その行ってきた感想を雑感という形式で書いたものである。今から26年前の派遣当時、アメリカでは既にパソコンを使った教育が主流になりつつあった。以下の文の中で私は「教育の水準は、日本の方が高い。」などと書いているが、はっきり言って若気の至りである。当時から、アメリカは長期的な視点に立って子供の教育を推進していたのである。日本はアメリカから、ICTの環境面で約20年は遅れたのである。そのことが今となってはっきりとわかるのである。

※初出 平成5年

私は、やっぱり「日本人」らしい。

外国に行って、それ迄自分が日本人であることを考えたこともあまりなかったが、今回外国に研修に行って痛感することになった。

それも大げさのことで痛感したのではない。

食事に関して思ったのである。行く前までは、たくさん肉が食べることができ、なおかつぶあついステーキが食べれるぞと思っていたのだが、1週間もすると米が恋しくなってしまった。

とくに時差のために体調が思わしくなくなって来ると、ともかく御飯が食べたくてしょうがなくなるのである。

そこでアメリカの中華料理屋に入って、念願の御飯にあり付けると思ったのだが、出てきた御飯を見て、どうも日本で食べていた米とどこか違うのである。

よくよく見てみると御飯一粒一粒の形が違う。 そして、最悪なのは、匂いである。

他の先生方は、久しぶりの御飯に感激して、「うまい。うまい」と連発しては、一生懸命食べている。

ところが、私だけは、その匂いがたまらず、ほとんど御飯を食べることができなかった。

今から思えば、その御飯は、日本の米ではなく、外国の米だったのだと思う。

今日は、最後の参観日、授業の参観者は合計4名であった。

あとで聞くところによると、ちょうどその日は、農協での米の販売日であったために、米購入のために参観日に来るのが遅れてしまったのだという。

日本の米に対する執着は、私も含めてどの人も同じらしい。

私は、外国が嫌いであった。

「新婚旅行をどこにするか」と、うちの嫁さんと相談したとき、うちの嫁さんは、外国にしようと言ったのだが、私は、「絶対行きたくない」と主張して、外国には行かないことになった。

ところが、今回、校長先生から、アメリカ・カナダに行く研修があるのだがどうする、という話があったとき、私はうちの嫁さんに相談もせず、二つ返事で「はい、行きます」と答えていた。

また、実際にナイヤガラの滝や自由の女神、ニューヨーク、そして、サンフランシスコの街や風景を堪能したとき、私は、うちの嫁さんや娘を連れてきたいなと思っていた。

私が一番心配していた言葉(英語)も、なんとかなった。

結局同じ人間なのだから、自分にコミュニケーションしようという気持ちがあればなんとかなるものなのである。

今回のアメリカ・カナダ旅行は、遊びが目的ではなく、研修が目的であった。

アメリカ・カナダの小学校、中学校、そして高校などの教育機関を視察し、むこうの教育関係者と懇談して来るというものであった。

ここだから書くのだが、教育の水準は、日本の方が高い。

たしかに、どの学校にもコンピューターが導入され、施設も近代的なものであったが、授業時間中、子供たちのいきいきした姿を見ることはできなかったし、教育方法も「アメとムチ」を使ったものであった。

優れた子は、学校の前に写真入りで掲示されるくらい、ほめたたえられるのだが、そうでない子は、ちょっと悲惨なものになっていた。

今回の外国旅行、6年の子供たちには大変迷惑をかけたな、と思っている。

私がいない3週間もの間、子供たちは実に良く頑張ってくれた。

そして、私が外国から帰ってきたら「青坂先生熱烈歓迎パーティー」を行ってくれたのには、大感激してしまったのであった。

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