【学校だより】仲間と共に創り上げる活動の大切さ

【解説】令和2年1月7日記

思春期っていいなと思います。それは仲間の大切さを体全体で感じることができるからです。この思春期の心を理解し、立ち入るのではなく、見守るという姿勢。それが周りの大人には必要となります。

※初出 平成26年10月31日 学校だより

11月は昔の言葉で「霜月」。霜が降りる季節となり、朝晩の冷え込みが身に染みます。体調の不調を訴える生徒もいますが、文化祭に向けて全校生徒、心を一つにして頑張っています。この学校便りをお読みの頃には、文化祭も大成功のうちに終了していると思います。これを書いているのは、文化祭直前の総練習が終了し、最後の追い込みに入っている時です。技術室からは、本別の方々にご指導いただいている太鼓の響きが聞こえてきます。

熊坂さんを中心とする本別の方々には、毎年約2週間、放課後、学校までご足労いただきながら、生徒たちに熱心に指導してくださっています。本当に感謝するばかりです。

恒例となった太鼓ですが、やはりその年で、太鼓の響きは違います。打ち手である生徒が変わると、太鼓の響きも変わります。同じ太鼓、同じ演目、ほぼ同じ指導者なのに不思議な感じがします。やはり生徒の個性が反映されてくるのでしょうね。

 

中学校時代、私は友人たちと夕暮れの中で話をするのが大好きでした。勉強のことはもちろん、テレビ番組、音楽、読書、学校のこと、誰がかわいいかといった恋愛話までさまざまでした。今から、その時代のことを思い出すと、間違いなく私の心は小学校時代とは違っていました。家族のことをまず考えるのではなく、友達のことを真っ先に考える自分がいました。家族で行動するよりも、友達と話をしたり、遊んだりするほうがいいと考えるようになっていました。

しかし、当時の自分は「心が変化している」なんてことには意識がいきませんでした。「友達と一緒にいたい」という、ただそれだけの感情が渦巻いていました。友達に面白い話をすると笑ってくれる。逆に友達の話を聞くと楽しくなれる。女の子の話題を一緒に話すと何故か胸がときめく。友達が理不尽なことで腹を立てていると、私にも怒りが沸いてくる。

 

私の中学校時代にも合唱コンクールがありました。私は、音痴だったので歌うのが苦手でした。中学1年生のとき、いわゆる「クチパク」でごまかしていました。小学校時代には、それほど音痴であることを意識していなかったのですが、中学校に入り、自分が他の人とは違う声、音を出していることに気がつきました。朝会のとき、校歌をうたうこと、それができませんでした。声を出すとみんなと違っているからです。

そんなこともあって、私にとって学級みんなで歌う合唱コンクールは苦痛で仕方がありませんでした。2年生のときには、歌わなくてすむ指揮者に立候補しました。歌うことから逃げていました。

しかし、3年生になって同じパートの仲間と、何度も何度も優勝目指して練習しました。さすがの音痴な私も声を出さざるを得ない状況になっていました。3年生として優勝目指して心を一つにして頑張ろうとしているのに、私一人が声を出さないこと、それは友達を裏切ることになる、そんな感情があったのかもしれません。

何度も何度もパート練習し、教室に全てのパートが集まり、学級全員で声を合わせ歌を歌っていると、突然私の心が震えていました。何ともいえない感情、打ち震えるような心の波が私の体の底から押し寄せてくる感じでした。

一人ひとりの声質も音色も音量も違っています。声にも個性があります。しかし、一つに合わさることで「みんなで声を合わせ歌うことって何て素敵なんだろう」「学級の仲間っていいな」そんなことを実感します。目に見える「物」をみんなで作り上げたときの感動。それと同じように、目には見えない「歌」をみんなで創り上げる感動というのがあるのだなと思います。

文化祭で培った力をもとに、これからも仲間を大切にし、仲間と共に創り上げる活動を大切にしていってほしいと思っています。

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