【学校便り】「人学ばざれば智なし」

【解説】令和元年9月25日記

人は学ぶことを忘れた時、成長を止めます。子供にそれを言うならば、大人である教師もまた学び続けることが問われます。学びの種は、身の回りに多く存在しています。小さな気づきから学びはスタートします。

※初出 平成26年7月 学校便り

◆明治時代、福沢諭吉の書いた『学問のすすめ』。その中に有名な言葉があります。

「天は人の上に人を造らず

人の下に人を造らずと言えり」

「人間には上下というものはなく平等だ」ということを言ったものです。有名な言葉なので多くの方が知っていると思います。「人は生まれながらに平等である」しかし、その後で次のように言っています。

「されど今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様、雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや」

「けれども今、広くこの人間世界を見渡すと、賢い人、愚かな人、貧乏な人、金持ちの人、身分の高い人、低い人とある。その違いは何だろう?」と問いかけています。人は平等なのに、現実は違っているのではないか。その違いはどこから来るのだろうかと問いかけているのです。

「その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」

「それははなはだ明らかだ。賢人と愚人との違いは学ぶと学ばざるとによってできるものなのだ。人は生まれながらにして、貴賎上下の別はないけれど、ただ学問を勤めて物事をよく知るものは、貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」という意味です。

◆この中に『実語教(じつごきょう)』という言葉が出てきます。この『実語教』というのは、平安時代の終わりごろにできた本です。この本は、子どもたちの教育に使われ、明治時代になっても、使われていたものです。いわゆる子どもたちの教科書のようなものです。平安から明治まで使われていたということですから、約千年間です。大学教授の齋藤孝先生は、『実語教』のことを「日本人千年の教科書」と呼んでいます。それほど日本人の心の基礎を作ってきたものだと言えそうです。

◆『学問のすすめ』で、その『実語教』を引用して、福沢諭吉は学ぶことの大切さを訴えました。そして、多くの人たちから共感を得、広く日本の中に広まっていったのです。

◆学ぶことは、テストでいい点数をとるといったことやいわゆる「いい高校」や「いい大学」に入るといったことだけを意味していません。学ぶことを通して「智恵」をつけ、社会の中でよりよく生きていくために大切なこととして考えられています。

◆一学期が終了します。生徒たちは、さまざまなことから学びました。それは、授業であったり、部活動であったり、生徒会活動であったり、友達とのふれあいだったりと、さまざまな日々の場面を通して学びを積み重ねてきました。

◆先日、本校の恒例となっている朝学習コンクールが行われました。結果、例年にないほどの多くの生徒たちが合格し、表彰されました。しかし、残念ながら今回合格できなかった生徒もいます。しかし、合格できなかったことも、大切な体験の一つです。きっと悔しいでしょう。今度こそは、と思っているでしょう。そうしたことも学びなのです。

◆しかし、もし「自分はやっても駄目なのだ」というあきらめにも似た感情があるのであれば、そこからは学ぶことはできません。成功も失敗も「学び」なのだ、自分にとっての成長の糧なのだと思うことがとても大切なことなのです。

◆明日から26日間の夏休みに入ります。学校のあるときにはできなかった体験を是非してほしいなと思います。さまざまな自然体験や社会体験から学ぶことを通して、生き抜く「智恵」を一つでも、二つでも身に付けてほしいと思います。健康や事故に気をつけて、有意義な夏休みであることを祈っています。

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