【教務通信】教師の誠実さの表れは、学び続ける姿にあります。

【解説】平成30年8月30日記

若い時代はあっという間に過ぎます。そして、退職して思うこと、人生もあっという間だということです。振り返れば、あの時、もっと学んでおけばよかったと思うことは沢山あります。それは若い時ばかりではありません。生きている限り、毎日が学びの連続です。

私は、幸いなことに学ぶことが嫌だと思ったことがあまりありません。自分の知らないことを知る。そして、自分の世界が広がっていくことを感じたとき、この上ない喜びを感じてきたものです。学ぶことはとても楽しいものなのです。

教師という職業でも同じです。教師としての力量をアップさせていくためには、学ぶことは不可欠です。学ばない教師は教壇に立ってはいけないとさえ思います。子どもと悪戦苦闘さえしていれば教師が務まるなどと考えているようなら、教師を辞めた方がいいのです。不思議なことに教師が学び続けている限り、子どもも学び続け成長していきます。

今回紹介するのは教務主任時代、職員に向けて発行していた通信からです。

※初出 平成9年 教務通信

「アリ」と「キリギリス」

■私は、思い上がっていた。
教師としての私が20代の頃、常に私の周りには子供たちが群がっていた。
朝、子供たちは私が来るのを駐車場で待っていてくれた。
その当時、教務の先生から「学校の駐車場には、車を入れるとき頭から入れないように」というお達しがあった。
私は、それに反発した。
「車を頭から入れるのは、子供たちが集まって来るからです。バックして駐車すると危険なのです。そうしたことも考慮に入れず、頭から入れないようにというのは、一方的すぎます」

■「子供たちから慕われること」、それは私が教師としての力があることだと錯覚していた。
後に局の指導主幹になった教頭先生から、「若いということだけでも教師の仕事が出来る。教師が若いということは、子供にとって実に魅力的なことだ」
そんなことを私に話して下さった。
その時、私は不遜にも「若くても力の無い教師はいる。自分には力があるから、子供が寄って来るのだ。そのための勉強もしている」と心の中で思っていた。
しかし、今から思えば、そのように考えていたこと自体私の思い上がりであり、教頭先生の方が正しかった。

■「若さ」というのは、「神様」が与えてくれたプレゼントである。
誰にも平等に与えられるものである。
「若さ」、それだけで美しいし、魅力的であり、誰もがその時代は輝いている。
しかし、悲しいかな、人間はいつの間にか「若さ」を失っていく。色褪せていく。
そう考えるなら、「若さ」というのは、「神様」が与えてくれた「試練の場」でもあるということだ。

■そうした時代にしか、出来ないことがある。やっておかねばならないことがある。
以前発行したこの通信で、現在全国で問題になりつつある「学級崩壊」という現象は、新卒の教師ばかりでなく、ベテランの男性教師にも見られ、それこそ深刻だと言うようなことを書いた。
それは、原因を探っていくと、やはり「若い時代」に勉強せず、「腕力に頼った指導」をしていた教師たちなのである。(私も新卒時代から何年間か、「腕力に頼った指導」をしていた。その名残は今でもある)
反面、女性教師たちは「腕力に頼った指導」が出来ない。油の乗ってきた時期に産休や育児がある。そのためにどんなことからも勉強しようとする。学ぶことに貪欲になる。男性教師のように、変なメンツも無い。
「いいものはいいし、悪いものは悪い」のである。
それが、歳とってきてから、徐々に花開いていくのである。

■若い時代、それはやはりがむしゃらに学ぶしか無い。
人から学び(「偉い人」だけではない。身の周りの人からも学べる)、本から学ぶ。
そして、それを教室で実際にやってみる。
学んだことが「本物」であれば、子供たちは喜んでくれる。変わってくれる。教師として学ぶことの意義を、子供たちが教えてくれるのである。

■「アリとキリギリス」という童話がある。
人間誰しも、「キリギリス」になりたい。私なんて、いつも楽をしたいと思っている。しかし、少なくても転職をせず教師という職業に夢やロマンを求めていくならば、「アリ」になって、将来に備えていかねばならないのだろう。
相撲の世界であれば、「3年先の稽古」である。
目の前にいる子供たちを見つめながら、将来の自分に夢を馳せるのである。

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