【教頭会誌】『小さな学校』

【解説】平成31年1月10日記

都会で教師をすることに憧れる時期もあった。しかし、北海道の片隅のへき地で教師生活を送ることに、私なりに意義を見出してきた。あと30年もすれば、今あるへき地校は、ほとんどがほとんと消えてなくなるのかもしれない。本当にそれでいいのだろうか。へき地にある学校の役割とは何だろうか。今一度問い直したい。

※初出 平成14年 教頭会誌

昭和27年、『小さな学校』という本が出版された。著者は文部事務官の山川武正である。戦後の世情の安定しない時代にあって、へき地教育の重要性を問い、へき地教師の資質を少しでも高めるために何が必要なのかを問うた本である。その本に次の文章がある。

「へき地の学校は、資材も乏しくあらゆる点において不自由であるが、よい教師はその乏しさのために教育者としての信念を強め、不自由さのために鉄のような意思をきずきあげていくであろう」

このように私は考えることがなかった。へき地は不自由である。しかし、その不自由さが反対に教師としての資質を鍛えていくという前向きの考え方を持っていなかった。卑屈になるのではなく、現状を受け入れ、地域を受け入れ、そしてその地に住む人たちを受け入れていくこと。このような前向きの姿勢こそ、まず管理職には必要なのだ。

そして一方で山川武正は次のように訴えている。

「君は、へき地において人知れず心を痛めている教師の心情を果たしてどの程度のぞいてみたか。君は、このような教師を一層痛みつけるような言を吐きはしなかったか。君は、何も与えることなくして、あまりにも多くのことがらをへき地の教師に望みすぎはしなかったか」

今年で私は教頭3年目である。私の学校には若い教師が多い。しかも道外出身者が半数を占める。何事にも真面目でひたむきに努力する若い教師ばかりである。これらの教師に囲まれて、私は教頭として何をしてきただろうか。山川武正の訴えが私の心に痛いほど突き刺さる。

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