【教頭会誌】夢なくして困難を越えられず

【解説】平成30年10月23日記

人は成長する。一人では成長できない。周りの人たちに支えられながら成長していくものです。今の年齢(61歳)になってくると、そのことが少しわかるようになってきました。ただ、私の場合この年齢になっても未熟なままというのは変わらないようです。まだまだ勉強したいことはたくさんあるのに、行動が伴いません。

行動することで人は成長する。一人でも行動する。そんな覚悟というものが「成長」にはとても大切です。

※初出 平成18年 教頭会誌

私は、激しやすい人間だった。今の言葉で言うと、切れやすいのである。「おこりんぼう教師」として、もがき、苦しんだ時代、それが私の新卒時代であった。もがき苦しんだと、今だから言えることであって、当時はもがき苦しんでいるとは思わなかった。がむしゃらに教師生活を送っているが、子供の可能性を引き出すわけでもなく、だからといって教師人生に魅力を感じていたわけではない。いつか、もっと違う職業に就きたいと思っていた。典型的な「でも・しか教師」である。「先生でもやるか」「先生しかやることがなかった」そんな教師であった。

 

私に人間的な魅力がないことは、誰よりも私自身が知っていた。字が汚い、音痴(何故音楽の単位がとれたのか今だもって謎である)、どれも小学校教師として不適格なことばかりであった。唯一の取り柄といえば、青春をかけたバレーしかなかった。

 

大学時代に吉川英治の『宮本武蔵』を読んで、いたく感動した。「たけぞう」時代の宮本武蔵は、人格的に破滅していた。人格欠陥者として描かれている。その武蔵が剣の道に目覚め、剣の道を極めていく過程で人間的にも成長していく。たとえ若いとき、人間的に未熟であっても、一つのことに精進していく中で人格的にも成長していく姿というのは、若き青坂を勇気付けていた。

 

教師としての技を身に付けていく過程こそが重要である。技を身に付けていく過程の中で、どのような出会いの中で、どのように技を習得し、どのような子供たちにその技を使うのか。その一つ一つを吟味していく過程こそが、人間としての成長を促してくれる。要するに「教師修業」である。「苦労なくして夢実現せず。夢なくして困難を越えられず」である。そのように今の私は考えている。

 

学生時代の恩師安香宏(あこう ひろし)先生は、私が大学を卒業するに当たって、「男子三日会わざれば、恬目して待つべし」という言葉をおくってくれた。「男子たるもの、現在の自分と三日後の自分が同じであっていいはずがない。目を見開いてよく自分を見てください。どこか必ず変わっているはずです。変わるように私は努力してきました。」そんな意味である。

 

しかしである。教師になって私はどのように努力していいのか、まったくわからなかった。回りの先輩の先生方を見ると、みんな余裕綽々で実践していた。私の周りには、数多くのそうそうたるメンバーがいた。それにも関わらず、教えてもらうことはほとんどなかった。ある先生は「人から技は盗むものだ」というのが口癖であった。また、ある先生に話しかけると「やってみるといいべやぁ」とぎょろりとした目で見られる。そしてまた、ある先生に酒の席で話しかけると、日本酒片手にうつむき加減で、ニコニコしながら「青ちゃん、いいね」とほめられる。教えてもらいたいと思って話しかけていると、いつの間にかほめられているのである。こうした中で私は育てられた。新卒時代の出会いが、私の教師としての道を決定付けたのである。

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