【教頭通信】片々の教育技術の大切さ

【解説】平成30年11月17日記

あらゆるプロには磨かれた技・技術というものがあります。その技を身に付け、使いこなすにはそれなりの時間と努力の日々があります。ここでは「指を置かせる」という教育技術を取り上げています。「指を置かせる」ことで、子どもたちの動きが劇的に変わることに驚くことでしょう。しかし、そのことだけにとどまっていてはいけないということを言っています。一つ一つの技・教育技術を自覚的に使いこなすことが大切なのです。

※初出 平成17年 教頭通信

◆読みづらいかもしれませんが、お付き合い下さい。毎年のことで、この通信もいつまで続くかわかりません。とりあえず、現在は「書く意欲」はあるみたいです。そしてそれが「書く行動」へとつながっているようです。ただし「書く内容」は問題があるかもしれませんが。

 

◆運動会が終了してすぐにA先生が研究授業をしました。頭が下がる思いでした。運動会終了してすぐといえば、子どもたちも何となく落ち着きがなく、授業を見せれるような雰囲気ではなかったはずです。まして、A先生ご自身でも授業の準備が思うようにできず、不安なこともたくさんあったはずです。そんな中での授業公開ですから、私は大変立派なことだなとまず感心いたしました。

 

◆授業が終了して放課後、A先生は私のところにやってきて、「教頭先生、何か教えてください」と言って来ました。そこで、私は授業時間中デジタルカメラで撮った画像をもとに話させていただきました。

 

◆いくつかのことを指摘させてもらいましたが、この場ではまず次の写真を見てもらいましょう。

※画像参照

子どもが教科書を読んでいる場面です。先生が、「今、読んでいるところ、指をさしてごらん」と言った時の画像です。女の子が、教科書に指を置いています。「指を置きなさい」という教育技術は、何気ないもののようですが、二つの意味において重要です。まず、子ども側にとって、集中せざるを得ない場面に追い込まれるということ。具体的な行動を指示されるわけですから、動かざるをえないということになります。教師側にとってみれば、どの子ができて、どの子ができていないのかということが一目瞭然にわかるわけです。

◆さて、「指を置きなさい」と指示して次に大切なことは何でしょうか。それは「確認」をするということです。それも一瞬で「確認」しなければなりません。これは、変な動き方をする子がいれば教師の目に飛び込んでくるはずです。みんなが指を置いているのに、置かない子は違う動きをするのです。

 

◆指を置かない子を発見すると教師は、「あの子は、指を置いていないな。ぼやっとしていたな」「他の子はわかったのに、あの子だけ、理解していないのだな」等と考えるわけです。これはすなわち「評価」を下したことになります。その子の状態を教師なりに理解しようとしているわけです。

 

◆「確認(評価)」をしたら次にすることは、「指導」ということになります。指導主事の先生方や何かの研究会に行けば、よく出てくる言葉に「指導と評価の一体化」とあるのは、簡単に言えば前述したことになるわけです。もちろん、1時間全体の中での「評価と指導」ということもあるでしょうし、単元全体における「評価と指導」ということもあります。しかし、ごく簡単に言うならば、授業とは、こきざみな評価と指導の連続によって成立しているということなのです。

 

◆「指を置いていない子を発見したとき」の指導法は、一通りではありません。その子の実態に応じて様々です。例えば、「○○君、指を置きなさい」と言ってみたり、「一人、指を置いていない子がいます」と言ってみたり、その子のそばによって代わりに指を置いてあげたり、その子のそばで小さな声で「指を置きなさい」という言い方もあるでしょう。また、教師は置いていない子を知っていたがあえてそのままにするという方法もありえます。どれが正しいという問題ではありません。どれも正しいのです。しかし、その中でも効果的な方法が考えられます。その一つ一つを吟味していくことが研究授業にほかなりません。

 

◆国語科における「指を置かせる」という意味には、ただたんに「確認」や「指導」という教え方としての方法論だけではありません。それは国語科における「文章の叙述に即して」という大切な行為の一環として重要なのです。この「文章の叙述に即して」子どもが文章を読めるようになると、国語の学力も高まるのです。自分の思い込みではなく、文に即して理解する。考えられる。これが国語科の大切なポイントとなるのです。

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