【月別経営の重点】10月。中学生期において能動性を涵養するための3つの原則

解説】令和2年5月18日

中学生期における学力向上のポイントを一つだけ挙げるとしたら、本人にその気にさせる、ということであろう。どんなにたくさんのことを言って、もしくはさせても、本人にその気がなければほとんど効果を上げることはできない。

ところが、ひとたび本人がその気になれば、あれよあれよという間に伸びだしていく。

そのポイントを「能動性」というキーワードで論じた。

※初出 平成29年10月13日

1 今年度の重点「能動性の涵養」について

今年度の重点の一つに「能動性の涵養」をあげた。能動性とは、自分から働きかけることを指している。

それでは積極性や主体性、自主性とはどのように違うのか。それは対象物に重点を置いているかどうかである。

積極性や主体性はあくまで自分自身の問題としての行動である。

能動性は、何か対象があってそれにどのようなスタンスで関わっていくのか、対象に対していかに積極的に関わっていくのかを指している用語である。

自分の内の問題として考えるのではなく、もしくは自分の内に籠っているのではなく、対象があってそれにどのように積極的に関わっていくのか。そのことが中学生期には大切なことである。

それでは「涵養」とはなにか。

水が大地に自然にしみ込むように、無理がないように養い育てていくことである。

私たちの教育は、教え、時には指導することが本筋であるが、そればかりではない。

養うこと、育むことも必要なことである。

教え、指導することは短期のことである。

しかし、養い育てることは時間がかかる。

時間をかけながら、生徒をよりよく成長させていくのである。

生徒の心の部分は、主に養い育てる部分である。時間をかけながら心を育てるのである。

それでは、中学生期において能動性を涵養するために、具体的にどういうことに留意するといいのだろうか。

私なりに3つの原則を考えている。

 

原則1 為すことによって学ぶ

私が諸先輩から指導されたことの一つに「為すことによって学ぶ」というのがある。

特に特別活動の分野で言われたことである。

「為すことによって学ぶ」とは、デューイの提唱した教育の経験主義から来ている。

共同の活動・経験を通しながら、物事を学んでいく。

その活動・経験とは、決して無秩序・反理性的なものではない。

「知」に依拠した活動であり、経験の大切さである。

だから、デューイは、反知性的な子供の興味・関心や欲求だけを認めるような教育活動を批判した。

民主的な人として育てるためには、利己主義や差別を憎んだのである。

ともすれば、生徒の自主性や主体性を大切にしようとすると、何でもかんでも生徒の欲求を受け入れてしまうことがある。

しかし、それは教育の本筋ではないのである。

それを防ぐためには、教師は、教育のプロとして「しかけ」を用意する必要がある。

子どもが育つ仕掛けである。

熱中し、仲間と共同してできる活動・体験の仕掛けである。

その教師の仕掛けがうまくいき、生徒自身が自ら為すことをしていったとき、子供は大きく成長していく。

部活動、学校行事等の意義はここにある。

熱中し、仲間と共同して目標を達成しようとして取り組むからである。

座学ではない。

実際に活動・行動することによって、教師が予想する以上に多くのことを学ぶのである。

逆に言えば、熱中させられない、仲間を大切にできない活動には生徒の育ちを保証することはないのである。

その原則というべきことを忘れてはならないのだと思う。

 

原則2 外とつながる

 

教室の椅子にきちんと座らせておくだけだと、心身共に生徒にはある種の「ストレス」が溜る。

授業の中で、生徒のやる気を引き出すには、教材とか教師の発問・指示とかが問題になることが多い。

もちろん、それらは大変重要なことであるが、そればかりでもない。

例えば、話し合いのときには、みんなの顔が見えるように机を移動する。

それだけで、話し合いが活発になることもある。

例えば、大事な話をするときには、姿勢を正させ、教師側に体全体を向かせて話をする。

例えば、授業前に大きな声で歌を歌わせたり、大きな声で「ハイ」と返事をさせたりする。

例えば、いつも教室に閉じこもって授業をするのではなく、教科担当の教師と相談のうえ、理科室、家庭科室、音楽室、美術教室、図書室、パソコン室などの特別教室を積極的に活用してみる。

こうしたことだけでも、生徒は意欲的になる。

教室の席にだけ、きちんと座らせて授業をしていたのではわからない生徒の様子が見えることがある。

上記のどれにも共通していることがある。

それは、生徒の意識を「外に向ける」「外に出す」ということである。

全校集会で「表彰」を行うということもそうである。

特定の子だけが表彰されるというのはいかがか、といった批判が以前あった。

これはこれで一理あると思う。

しかし、この「表彰」ということで大事にしたいことは、「その子の励み」「他の子への刺激」ということだけでなく、一種の「社会的権威」のある賞を学校の誰かがもらうということを通して、学校外の他の社会と結び付いているのだということも教えていきたい、気づかせたいのである。

「へぇー、・・君は、陸上競技大会で優勝したんだ。他の中学校のどんな中学生と競技したんだろう。それで8月には千歳の全道大会に出場するんだ。北海道の各地から、いろんな人が集まってくるんだな。」

生徒の意識を「外に向ける」のである。

外とのつながりの中で、自分たちの立ち位置を確認していくのである。

特に今の時代にあっては、学級内だけ、学校内だけの教育活動は、生徒の育ちをいびつにする可能性がある。

生徒の目を常に「外へ」「外へ」と向けていくこと。

そのためには、身近な所から「一歩」「一歩」始めていくのである。

教室の椅子から、少しでもいいから動かしていこう。

また、学校外の「人」、「物」、「事(こと)」に直接触れさせよう。

 

原則3 失敗を認め、生徒を励ます

言うまでもなく人間とは失敗する存在であり、間違いを犯してしまう存在である。

人間は神ではない。

完全な人間などいない。

ましてや中学生である。

失敗や間違いから多くのことを学んでいくのである。

この人間観こそ、私たち教師が持ち合わせていなければならない。

生徒は、失敗・間違いをすれば落ち込む。

自分はダメな人間だと思う。

特に思春期にある中学生はその落ち込み方は外から見ている以上にひどいものがある。

自己肯定感の低下である。

そのような時、時には見守り、時には励ます。

励まし続けることが必要である。

しかし、いきなり励ますのではいけない。

話を聞き(傾聴)、相手を受け入れる(受容)というカウンセリングマインドが必要である。

その過程の中で、生徒の存在を認め、励ますという教師側のサポートが生じてくるのである。

 

生徒は為すことによって学ぶ。

生徒を外とつなげる。

中学生を内にとどめておくのではなく、外とつながるように教育活動を仕組む。

外とつながる中でさまざまな世界を感じ取っていく。

自分が様々な人とのつながりの中で生かされていることを感じる。

人のために役立つことの大切さを思い、感謝することの大切さを心の底から思うようになっていく。

しかし、時に失敗や間違いを犯す。

人に迷惑をかけることもある。

だけど、受容的な教師・学校の下で心の傷をいやし、次への行動の意欲を奮い立たせていく。

このようにして能動性の涵養は為されていく。

 

2 今回の学習指導要領改訂は大改革

次年度のことを構想しながら、実践を積み上げる時期になってきた。

これからの大きな課題は次期学習指導要領にいかに対応して教育計画を立てていくのかということである。

東京大学教授の市川伸一氏は次のように言う。

これまでの中学校においては、教科ごと、学年ごとに年間計画を立て、教師が授業を行い、子供にテストを課すということを中心にしていたところが多かったのではないだろうか。(今回の学習指導要領改訂で)教科横断的に資質・能力を育てるようなカリキュラムづくりや評価をするとなれば、とりわけ中学校にとって歴史的な大改革ということになろう。

今後求められる教科横断的とは、教科だけ、学年だけで年間計画を考えるのではなく、教科間・学校段階間のつながりを考慮して編成するということである。

年間計画を編成する時、今までと同じような考え方・手法では通用しないだろう。

ともすれば、今までのことを振り返れば「学習指導要領が改訂となっても、何とかなった」という思いを抱く方々も多いだろう。

しかし、市川伸一氏の「歴史的な大改革」という言葉は、無視できるものではない。

学校として、しっかりと考え、取り組んでいく必要がある。

そのためには、現在でも多忙感が増している状況を少しでも改善しておく必要がある。

今はやりの言葉で言えば「働き方改革」である。

生徒の学習権を保証し、生徒の成長を促していく。

そのことを愚直にやりながら、働き方改革をするというのは、実に困難が伴う作業となるだろう。

しかし、新教育課程が待ったなしでやってくる状況では、働き方改革をやらなければ、今より大変な状況になることは目に見えているのである。

次年度に向けての課題である。

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