【PTA機関誌】教師生活十年目

【解説】平成31年2月22日記

低学年の時に担任し、学校の諸事情で、卒業学年の6年生で再び同じ子たちを担任する。ただし、3クラスあるので、6年生の時には低学年の時の3分の1の子たちだ。こういう変則的な担任をしたこともある。学校のPTAでは年度末に機関誌を発行する。今回掲載したのは6年生担任として書いた文章である。33歳の時の実践。この学校には、新卒から10年間お世話になり、この年次の学校へと転勤になった。学級経営の方法論がある程度定まった時代であった。

※初出 私33歳の時

6年3組担任青坂信司

現在担任している6年生、私が1,2年生の時の担任だった。

未熟な教師だった。自分では、一生懸命やっているつもりだったが、気持ちだけが空回りしていたのかもしれない。

1,2年生の時の子供たちの姿が目に浮かぶ。学校中を跳びはねているような活発な子供たちだった。目を輝かせて何事にも生き生きと取り組んでいた。学級で飼っていた金魚が死んでしまったら、学校の裏にお墓を作ってお祈りをみんなであげてあげるようなやさしい子供たちだった。

反面、授業中は、いつも騒々しかった。喧嘩も多かった。もめごとも多かった。はみ出している子もいた。そんな全てのことが、私にとっては、つい先日のことのように思われる。

しかし、6年生の子供たちにとっては遠く過ぎ去った昔のことに違いない。子供たちにとっての生活とは輝くばかりの未来を夢見て成立する。しかし、大人にとっての生活は、過ぎ去った昔のことに執着し、心の傷跡を引きずりながら成立している。常に過去を美しく甘く思い出すのが、人間の常なのかもしれない。

今の6年生、私にとっては常に1,2年生のときの面影がだぶって映ってくる。1,2年生の時のことを思い出すと、6年生の行動がすべてかわいく思えてくる。もっと厳しく指導しなければならないと思いながらも、つい許してしまう「甘い教師」になってしまう。

子供たちには、常に「やる気が大事です」と語ってきた。そのためにじゃんけんが学級づくりに位置づいていた。

そして、「努力を持続させるも大切なことです」とも語ってきた。そのために日記、自学帳の取組みがあった。そして、子供達は、私の期待に応えて、学級全員がほぼ毎日取り組んできた。

一人の子が伸びていくために要求されるものが、「やる気」と「努力」であると私は考えてきた。

子供のやる気を引き出し、努力させる。たったこのことだけでも、教師にはすぐれた技量が要求される。私は、そのことに自分の力を注いできたつもりだ。その具体的なものが「じゃんけん」であり、日記・自学帳だったのだ。しかし、どれほどのことを子供たちにしてあげれたかは、今となっては非常に心もとない。

また、一人一人の子を伸ばしていくと共に、学級集団そのものを伸ばしていくことにも私は意を払ってきた。そのために、学級の中に存在するあらゆる「利己主義」と「差別」と対決してきた。 「やる気」「努力」「利己主義」「差別」

この4点が私の学級づくりのキーワードであった。そして、この4点に関するかぎり、私は「厳しい教師」だったと思う。

教師になって今年で十年が経った。今だに未熟な教師である。毎日が、私の心の中にある怠惰との闘いである。この十年間、子供と私との闘いのようでいて、実はそうではなかった。結局は、一職業人として自立していくということは、自分自身との闘いであるということに、最近私は気がつき始めている。

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