【雑誌原稿】高齢社会型災害から学ぶ日本の課題
【解説】令和元年7月25日記
今年、母は95歳となった。大正・昭和・平成・令和の4時代を生き抜いている。少子高齢化、人口減少。この日本の流れは22世紀まで変わらないだろう。22世紀には、さすがに私は生きていないだろうが、現在20歳以下の人たちは、高齢者となって生きている可能性がある。
災害が起きるたびに、日本の「課題」を突きつけられる。しかし、その課題に対する解決策はきちんと出され、具体的な対策となって結実しているのだろうか。もちろん、私の勉強不足からそのように感じるのかもしれない。ともかく災害国家日本。その中で安全で安心な生活を送り続けられるようにしていくことが大切だ。※ここまで書きながら、「そしたら、日本の課題を解決するために青坂は何か行動しているのか!」という声が聞こえてくるようだ。
※初出 平成16年 雑誌巻頭言
私の母親は大正生まれである。日本のどこの家庭でも、そうであるように、私の母親も食事の残り物が出るとそれを食べる。決して物を粗末にしたりはしない。家族の方を優先し、常に自分のことは後回しである。「私のことはいいから、あなた方が先にしなさい」
信心深い。朝は必ず神棚に手を合わせる。毎年、墓参りは欠かしたことがない。念仏を唱え、家族が健康であることをご先祖様に報告する。常に、人に対して礼儀正しく、深々と頭を下げる。決してでしゃばることもしない。貧しいけど慎ましく、人に大きな迷惑をかけることもなく、隣近所、親戚などの人付き合いを大切にしながら、大正・昭和・平成と生きてきた。
それは私の母親が特別だったわけではない。今は忘れ去ってしまったような日本人としての美徳、それを多くのお年寄りたちは身に付けている。
しかし時として、日本人の美徳が悲しい出来事を生じさせる。
平成七年一月一七日。阪神淡路大震災。死者数六四三三名にも及ぶ大災害であった。
その阪神淡路大震災において、どんな人たちが、多く犠牲になっただろうか。図1をご覧いただきたい。真っ先にお年寄り、それも女性のお年寄りの死亡が多いことに気が付く。六〇歳以上の亡くなったお年寄りは二九〇二名になる。男性一〇二六名、女性一八七六名である。死亡者数の約五〇パーセント、半数が六〇歳以上のお年寄りだったのである。
何故、お年寄り、それも女性のお年寄りたちが多かったのだろうか。地震による犠牲者は、家の倒壊によるものが多かった。お年寄りたちの住む家の多くが古い住宅である。そのために倒壊しやすかったのである。また、建物の下敷きになっても自力で脱出することができなかった。そこに炎が襲う。こうして犠牲者が増えていった。
ところが、圧死や窒息死、そして焼死等の地震による直接の犠牲だけでは終わらなかった。更なる困難が、お年寄りたちを襲うのである。それは一月から二月にかけての真冬の寒さである。
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学校が避難所となった。被災した人たちが学校へと避難する。たくさんの人たちが避難してきている。体育館や教室に入りきれない人たちが多く出る。その人たちは、屋外や寒風の吹きぬける廊下、そして階段の踊り場に身を寄せることとなった。
逃げ足の遅かったお年寄りは、体育館や教室に入れなかった。そのためにそうした条件の悪い場所へと居場所を求めたのである。そればかりか、夜中にトイレに行きやすい場所がいいということで、自ら条件の悪い場所に身を寄せたのである。
こうした話がある。「おばあさん、そこは寒いから中に入りなさい」と言うと、「年をとるとトイレが近いので、皆さんに迷惑をかけるので、トイレの近い場所にいます」と言ったという。寒い中で、他の人の邪魔にはならないようにしていたり、できるだけトイレを我慢しているお年寄りがたくさんいたのである。
また、具合が悪くなっても、医者や看護士が傍にいても声をかけないお年寄りもいた。「年寄りはいいんだ。怪我をした若い人たちを先に診てほしい」というように遠慮がちにしている方もいたのである。
あるボランティアの医師が報告している。
「冷えた握り飯は喉を通らず、トイレに行くことを避けるために水分補給することを極端に減らした。そのために衰弱や脱水症状のお年寄りが目立った。そのうちに高血圧、糖尿病などの慢性疾患の悪化が目立つようになり、インフルエンザが蔓延した。体育館の中は、音がこもり、補聴器を使用するお年寄りにはきつかった。また照明の黄色系のカクテルライトも視認性が悪く、絶えずお年寄りたちには緊張を強いることとなった。」
その結果、インフルエンザや肺炎にかかったり、慢性疾患の持病を悪化させたり、精神性の疾患のために亡くなる方が多く出たのである。その数、約一〇〇〇名であり、その九割がお年寄りたちだったのである。
阪神淡路大震災が、「高齢社会型災害」と呼ばれる所以である。
阪神淡路大震災から約十年後の平成一六年一〇月二三日。新潟県中越地震が発生。一一月一五日現在死者数は四〇名。その内の二四名が六〇歳以上のお年寄りである。死者数の六〇パーセントにも及ぶ。そして、いまだ約一万人もの人たちが避難所生活を強いられている。
日本は、これから超高齢社会へと変わっていく。超高齢社会を迎えるに当たって、何を子どもたちに伝え、教えていかなければならないのか。阪神淡路、そして中越地震から学ぶことは多い。