【学校便り】5000通りの可能性とビー玉

【解説】令和5年5月8日記

今回紹介する学校便りに出てくる「人間は5000通りの可能性を持って生まれてくる」という言葉。

今回その出典元を探したのですが、探し出すことができませんでした。

この学校便りを書いた当時、私はこの言葉に魅かれたのは間違いないのですが、今となっては思い出すこともできません。

ともかく、すべての人間には様々な可能性があるということを伝えたかったのだと思います。

※学校便りを掲載するのは、これで最後となります。お読みいただきありがとうございました。

※初出 平成30年3月1日

◆人間は5000通りの可能性を持って生まれてくる。犬は生まれて人間が育てたとしても犬に育つ。人間は人間として生まれたとしても人間として育つとは限らない。育ち方によって、お金持ちになることもできれば殺人犯となることさえできる。そんな話を聞いたことがあります。

 

◆一人一人にある5000通りの可能性。その数多くの可能性の中から、何を選択していくのかは本人の責任です。当然、5000通りの可能性の中には、自分自身をよくし、周囲の人たちをも幸せにしていく選択もあります。逆に、自分だけでなく周囲の人を悲しみや辛さを感じさせる選択もあるでしょう。しかし、どんな選択をするにしろ、それは最終的に本人が「自分自身の人生の責任者」として生きていくことしか道はないのです。

 

◆私の手元に一冊の本があります。『17歳のオルゴール』(白樹社)といいます。今から40年近く前に出版されたとても古い本です。書いた人は、町田知子さんと言います。町田知子さんは、未熟児として生まれ、脳性小児まひという障害で手や足も動かすことも不自由で車椅子で生活していました。しかも言葉も不自由でした。しかし、そうした重い障害にもかかわらず、その時々に思ったことや感じたことを、動かすことさえ不自由な手に鉛筆を持ち、ノートに書き綴っていました。そのノートが、ありのままの字体で本となって出版されたのです。それが『17歳のオルゴール』という本なのです。

 

◆その本の中に次の文章があります。

ある日よう日のことである。父が私にビー玉をかってきてくれた。16才の私にとっては、なんで今さらビー玉なんてとなかばあきれてばかにしていた。

しばらくして父が、こう言った。「知ちゃんの小さいとき、お父さんおもちゃかってやれなかったからな」とすまなそうに言った。

私は小さいころびょういんに入院していた。

びょういんと家との間がとおかったし、あまり会うことができなかった。

でも私は、そんなことはもうすっかりわすれてしまっていた。しかし、父のそのことばをきいて、なにか心をしめつけられる気がした。かなしいほどに父は私のことを愛していてくれているということが体じゅうにつたわった。ふしぎにあつい血がながれてくるかんじがした。

私は父にこう言いたい。

「お父さん、ありがとう。私はあなたの子どもに生まれたことをほこりに思っています。

あなたのおかげで、こんなあかるい子にそだっています。お父さん、あなたは私にかぞえきれない愛情をそそいでくれました。

それは7色のビー玉よりもダイヤモンドよりも美しいものです。

昔のことはわすれました。

だから今の私を見守ってください」

とつたえたい。

ビー玉が教えてくれた父の愛。

その愛は、いつまでも私の心の中に美しくかがやいていることだろう。

 

 

◆自分の可能性は自分が決めていくものです。「人生の責任者」は自分です。しかし、その決めていく裏には親の愛や周囲の人たちの支えが必ずあるものです。

 

◆今、中学3年生は次への旅立ちに向けて大切な時期を迎えています。進路決定に際して、きっとご家族とともに悩んだ生徒もいるでしょう。今でも不安な気持ちを抱えている生徒もいるでしょう。しかし、必ず春は来ます。誰にも必ず春は来ます。生徒本人が自分の責任で選択した道を、今までのように愛情深く見守ってあげてほしいなと思います。

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