【校長通信】自分の苦手なことを振り返る その2

【解説】令和5年7月5日記

学ぶことが好きである。
人と対話し、自分の知らないことを教わるのはワクワクする。

ただし、それは自分のペースであること。

人から言われたから学ぶということではないこと。

つまり、自分から発した学びであることが大前提である。

人から言われた学びというのは、つまらない。

楽しくない。

自主的に行う学びが自分にとっては一番楽しく、自分の身にもなったとつくづく思う。

※初出 平成22年7月2日

◆前号で私の苦手なことをいくつか書いた。なぜ、書いたのか。

 

◆自分の今やっていることは絶対だ、ということを持ってはいけないということだ。自分の人格そのものを否定しては生きていけないが、自分の考えていることや自分のしていることを1度疑ってみることは必要なことだ。自分の長所や短所、得意なことや不得意なこと、自分の実践のプラス面とマイナス面等を冷静に把握し、自分自身の在り方を少しでもよりよくなるように努力していくことが大切だ。「あなたの悪いところは、こんなところだ」と指摘されて怒るのではなく、「そうなんだ。だから、これからは、指摘されたところを改善できるように努力しよう」と考えられるか、それこそが「学び続ける」ためには必要なことだ。

 

◆私は、若い時から、自分の考えていることは他の人も同じように考えているはずだ、という思いが強すぎたとように思う。そのために、たとえば私は「人の話を聞くときは、メモをしなくてもいい」という思いがあったとすると、そのことをすぐに押し付けたりしがちであった。そして「人の話を聞くときはメモした方がいい」という話を聞くと、すぐに反論しなければ気が済まない性質であった。小さい時から、私は母親から「あんたは、自分の言っていることだけが正しいように言うけど、それではいけない。もっと人の話を聞きなさい。耳を傾けなさい。傲慢になるんじゃないよ。謙虚にしていなさいよ」とよく言われてきた。母親と同じようなことを山口教育長からも、お酒を一緒に飲むと何度も言われる。しつこいぐらい言われる。

 

◆自分としては、決して傲慢不遜にしているつもりはなかったが、私のどこかに誤解を与えるような、もしくは知らず知らずに身についてしまった「傲慢さ」というものがあるのだろう。そのことを改善し、私は教師として実践し続けていくためには、学ぶということが不可欠なのだ。学べば、自分の間違いや愚かな点が見えてくる。例えば「人の話を聞くときはメモをする」ということ。これは社会生活を送っていく上では、大切なスキルの一つである。人は「物忘れしない生き物」だというのであればよい。しかし、必ず物忘れする。それも年と共に物忘れは激しくなる。その時に必要とされるスキルの一つが、メモをするということだ。メモをしなかったために、自分の会社に損害を与えたという事例は数多くあるほどだ。私は並列処理が苦手だ。しかし、そのことは並列処理ができなくてもいいという免罪符にはならないのだ。いつか並列処理ができるように、学び続け、徐々に訓練していくことで、克服していくしかないことなのである。

 

◆4月、私は「学び続ける学校」ということをテーマとして掲げた。3ヶ月経って、どうだろうか。先生方の意識の中の何かが少しでも変化してきているだろうか。校長室にいると、先生方の心の中というのは見えない。ある意味、見えないので不安になることもある。しかし、大切なことはまず私自身がどうなのか。私自身が、学び続けようとしているのか。自分を変えようとしているのか。それが問われるのだろうと考えている。

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