【教頭通信】働き甲斐のある学校・その1

【解説】平成31年1月2日記

教頭の職務の中心は、校長を助けることです。学校づくりに関する校長の考えや思いを理解し、具体的に策を思いめぐらし、実現させていくということ。そこに教頭職の醍醐味があります。

現在、働き方改革ということが教育の世界で言われるようになりました。この言葉だけで判断すると、何か一方的すぎます。教師の働き方は、その個人の働きがいや生きがいと結びついてたものです。「時間」だけで単純に判断できるのだろうかと思ってしまう自分がいます。働きたいときには、時間に関係なく働かせてほしい。働きたくない時、働かなくてもいい時には休ませてほしい。などと単純に思ってしまいます。教師の働き甲斐とは何か。それを考えてみた通信です。

※初出 平成14年 教頭通信

■教頭の職務で一番大切なのが、校長先生を補佐するということです。S校長先生とは、2年のコンビということになります。この2年のコンビで、私の頭の中に常に気になっていたことがあります。

 

■校長先生が着任してきて、最初に職員会議で経営方針を述べたとき、真っ先に言われたのが以下の3点のことでした。

 

①子どもが喜んで通ってくる学校

②親が子どもを通わせたくなるような学校

③教職員にとって働き甲斐のある学校

 

■この3点のことをどのように具体的にし、現実のものとしていくのか、それが教頭としての大事な仕事でした。特に私にとって、3番目の「教職員にとって働き甲斐のある学校」というのは、それまであまり考えたことがなかったため、どのようにしたらよいのか見当がつきませんでした。どうしたらよいのかわからないまま2年が過ぎようとしています。

 

■先生方に「働き甲斐のある職場ですか」なんて、とっても聞けません。もし「いいえ。働き甲斐がないです」なんて言われたら、どうしたらいいでしょうか。私に働き甲斐のある職場にするための具対策がないのですから、どうしようもありません。具体策がないとき、私は何もアクションを起こさない事にしています。具体策を持っていないで、何事かを質問するというのは大変無責任な態度ですから。しかし、学校評価の中にはそれとなく入れてあります。怖いもの見たさでしょうか。そんなこんなで2年が過ぎようとしているのです。

 

■今一度、きちんと自分なりに総括しておくことが大切なことだと思いました。そこで、校長先生が書かれた文章をもう一度きちんと読み返しました。そこには次のようにあります。

③教職員にとって働き甲斐のある学校

・先生同士が信頼しあい協力し合う。お互いに切磋琢磨に心がける。

・明るい挨拶、元気な返事、共学の精神で。共通理解と共通行動をモットーにする。

☆授業実践(授業で子どもを変える)に基づき、お互いに情報交流をしながら指導技術を高めていく。お互いの考え方の違いに学び合う職場作りに努める。

 

■今になって思えば、もっとこのことを突っ込んで考えればよかったと思いました。それだけ大切な考え方が含まれているのです。S校長先生の教育観・経営観といったものが読み取れるのです。

 

■「働き甲斐のある学校」ということについて、校長先生の考え方を踏まえて、私なりに今一度考えてみます。

 

■「働き甲斐」と似た言葉に「満足感」というのがあります。満足感が得られることが働き甲斐に通じます。実践したことに対して、何の満足感も得られなければ、働き甲斐はなくなっていきます。無気力になっていきます。民間会社は、その人の働きに対して正当に評価しようとします。それが給与に跳ね返っていきます。給与が高くなったことから、人は正当に評価されていることを感じ、満足感を得ます。プロ野球の世界は、その代表的なところです。しかし、教師の世界は違います。いくら働いてもお金に跳ね返ってくることはありません。逆に働かなくても給与は下がることはないのです。(近い将来、これはきっと改善されるでしょう)

 

■それでは、教師の世界で満足感を得ることはできないのでしょうか。そんなことはありません。今までの多くの先輩教師達が教師という職業に誇りを持ち、努力してきたのはお金のためではありませんでした。それは「教育の世界」には、満足感を得られる要素が沢山あるということなのです。子どもに掛け算九九を一生懸命教えたらできるようになった。運動嫌いの子が運動が好きになった。子どもから好かれる、尊敬される教師になった。親からも絶対的な信頼感を得るようになった。親から手紙をもらった。感謝の言葉を受けた。そして周りの同僚からも管理職からも正当な評価を得られた。こうしたことが教師の満足感となっていくのです。それが働き甲斐につながっていきます。

 

■要するに「教師として目覚める」ことが大切になります。私達は教育の専門家です。教育のプロです。しかし、何もせず黙っていて教育の専門家にもプロにもなれないのです。それは昔から言われてきたことです。教師としての研鑚こそ必要です。それは具体的にどうすることでしょうか。

それは素人の考え方を捨て、教育の専門家としての識見を身につけることです。若き教師はできるだけ早く学生気分から抜け出すことです。そして教師としての考え方を身に付け、それに見合った教育技術を身につけることです。

 

■そのために「教師は汗をかき、恥をかき、血のにじむ葛藤と修羅場に身を置く必要がある」のです。このことが「働き甲斐のある学校」への第一の関門です。そして校長先生の文章を今一度読み返してみます。     (続く)

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