【学校便り】合唱する生徒たちの姿
【解説】令和5年4月19日記
今、教育は変わらなけれぎなりません。
この言葉を今まで何度聞いてきたことでしょうか。
しかし、今回こそ教育は変わらなければならないと思います。
そのために何が必要なのか。
その一つが今まで絶対だと思われてきた価値観を疑い、複数の価値観を持って教育に対していくということです。
今回紹介する学校便りでは「美しさ」ということについて書いています。
「美しさ」という観点で教育を見るだけで違う世界が見えてきます。
※初出 平成29年11月6日
◆世の中には「勝ち負けの世界」があります。そして、私たちの心の中には勝つことが良いことで、負けることは残念なことだといった感情があります。野球やサッカーなどのスポーツ。そればかりか将棋や囲碁、そして文化面でのコンクールなど。多くの種目の中で、他人と競い、勝ち負けが明らかになります。マスコミも勝者を称え、スポットライトを盛んに当てたりします。勝つか負けるかというだけの価値観の中では、勝つことが良くて負けることは残念なことでしかありません。
◆しかし、その価値観の中に「美しさ」という価値観を持ち込むと全く違った世界が見えてきます。体育の授業の中に「跳び箱」というのがあります。多くの方も、特に小学校時代に体験したはずです。この跳び箱の授業では、えてして「高く跳ぶことが良いこと」といった見方になりがちです。A君は5段跳んだ。B君は6段が跳べた。自分は8段が跳べる。どうだ、自分は凄いだろう。C君は8段跳べるのは凄い。そういった感情は自然なことであり、その感情があるからこそ高みを目指す努力へと人を動かしていくことになります。
◆その上で、「美しさ」という価値観で跳び箱に挑戦している子供たちの姿を見た時、高さだけが全てではないことが見えてきます。4段を跳べない子供が、何度も何度も挑戦し、一生懸命に跳び箱を跳ぼうとしている姿を見た時、そこに感動を覚えることがあるのです。
◆沢木耕太郎という作家がいます。沢木耕太郎の代表作に『敗れざる者たち』というスポーツの世界を描いたドキュメンタリーがあります。勝者を取り上げるのではなく、勝者の陰で負けていった選手たちを取り上げています。私は、この本を若い時に読み、随分影響を受けました。勝者の陰には必ず敗者がいて、その敗者の勝つことに向けた努力の過程も、また戦っている姿も美しいということ。敗者が、時として勝者以上に輝いていることもあるのだということをこの本から教えてもらいました。
◆何を美しいというのか。その感じ方は人それぞれです。ある人は「外見だけから美しさはわかる」と言い、ある人は「美しさは外見ではなく内面なのだ」と言ったりします。また、同じ人を見ても「美しい人だ」「いやそれほどでもない」と思ったりもします。学校教育の世界の中で、統一した考え方があるわけではなく、何が美しいのかそれはよくわかりません。しかし、教育の世界の中における美しさの根源は「子どもの姿」そのものにあるのだと思います。
◆多くの方々に来校していただいた学校祭。特に合唱コンクールでは約400名もの方々が来校し各学級の歌声を聴いてくださりました。この合唱コンクールに向けて、どの学級も頑張って練習してきました。その練習の過程では、きっとさまざまなことがあったのだと思います。その「さまざまなこと」を乗り越え、当日の発表です。コンクールですから、そこに順位がつきます。ある意味「勝ち負けの世界」です。
◆しかし、当日会場に来てご覧になった方々のほとんどは、審査結果以上に、生徒たちの姿から何かを感じ取っていただけたのではないでしょうか。指揮者に集中する生徒たちの視線。体全体で懸命に表現しようとする姿。それは歌っているときばかりでなく、ステージに上がるとき、そして歌い終わって降りるときの態度。また、他の学級の発表を聴くときの鑑賞態度。どれもが「美しさ」を感じさせるものでした。
◆そして、生徒たちの発表をご覧になった保護者・地域の皆様方のマナーを守ってくださる姿にも感銘を覚えました。本当にありがとうございました。