【校長会誌】「私がやらずに誰がやる」
【解説】平成31年4月4日記
私にはリーダー性がない。今回紹介しているような統率する観念に不足している。ある意味、不足しているから常にリーダー性とか統率ということに憧れるのかもしれない。
そんな私が校長として常に意識していたのは、危機における校長としての振る舞い方である。普段はぼっーとしていても、ひとたび危機に直面したら辞表を覚悟で物事に処していたということはあった。しかし、小心者の私のことなので、夜は眠れず、いつもざわざわとした嫌な感覚はあった。それとの戦いの日日が校長時代であったのかもしれない。
※初出 平成22年 校長会誌
「統率力」という言葉がある。あらゆる組織のリーダーには統率力が要求されている。とりわけ組織が危機に直面したとき、リーダーには統率力が必要である。
統率力は、一般の社会ばかりでなく、教師にとっても必要な能力の一つとなっている。例えば、東京都教育委員会は教師の授業力構成要素の六つの中の一つとして統率力の必要性を取り上げるほどである。教師として身に付けるべき大切な力、それが統率力である。統率力という観点でリーダーのあり方を考えた時、求められることとは何か。
佐々淳行氏は、東大安田講堂事件、あさま山荘事件等に対処し、初代内閣安全保障室長をつとめた危機管理の第一人者である。佐々氏は、危機管理に際してリーダーが取るべき態度の一つとして「私がやらずに誰がやる」という精神が必要だと説く。仕事のできる人間には間違いなく「私がやらずに誰がやる」精神があり、身を持って行動する。「私がやらずに誰がやる」精神とは、人任せにしないということである。
決断すべきときに、自分が決断せず、他の人に決断させる人間には人の上に立つ資格はない。決断することから逃げるということは、何か失敗したときに、責任は自分にはないということを言っているのと同じである。
責任観念とは「私がやらずに誰がやる」という精神である。人を統率するためには、この責任観念が必要であり、責任観念のない人間に誰も従うことはない。東日本大震災以来、リーダーには、この責任観念が極めて重要となっている。私にとって肝に銘じておきたい言葉である。
根室の太平洋岸の地層を調べると、5500年に13回の20mクラスの大津波の痕跡があるそうです。根室沖の巨大地震によるもので、すでにその危険期間に入っていますので、釧路と根室管内の校長先生たちにこの記事が広く読まれてほしいと願ってます。
以下は2011年に書いたものですが、引用紹介させてください。
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「巨大地震、北海道東方沖が要注意」、12月23日日経サイエンスの記事である。
*http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A9C93819595E0E3E2E3968DE0E3E3E0E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E7E3E0E0E2E2EBE0E2E3E2
「北海道の東部沿岸では、ここ100年ほど沈降が続いている。北海道の東端、根室にある検潮所の潮位が示す地盤沈降速度は年1センチ、100年で1メートル下がるペースだ。「通常では考えられない非常に速いスピード」と産総研活断層・地震研究センターの宍倉正展・海溝型地震履歴研究チーム長は言う。」
測定ミスではないかと思いたいが、
「国土地理院が全国に展開した全地球測位システム(GPS)観測網のデータ解析結果を見ると、北海道東方沖では、かなりのペースでひずみが蓄積しつつあることがわかる」
とダメ押し。
東日本大震災の起きる前にも、この観測網から宮城沖で歪が蓄積しつつあることが判明していたというから、いつまでに、誰が(どの組織が)、何をするのか具体的な被災対策を準備したほうがいい。
太平洋側で20mの津波が発生したら北海道東方沿岸はどうなるのだろう。
つい先ごろ、市役所から地震対策用の地図が配られている。自分の住んでいるところが海抜何メートルか確認しておこう。そして巨大地震が起きたら、すぐに高台へ避難しよう。市街化地域では一番高いところで40メートル強である。
霧多布が心配だ。10分くらいで逃げきれる高台があるのだろうか?町営温泉(ゆうゆ)のある場所は高台になっているが何メートルだろう。海のほうなのであそこへ向かうのはちょっと勇気がいる。とにかく場所を決めて訓練しておかないと避難しきれず大惨事になる。
釧路も太平洋側に開いて低地が広大にあるから避難が大変だ。根室は花咲港・落石地区・桂木・友知・双沖・歯舞地区で予想される避難民は2千人程度で高台がすぐ近くにあるが、釧路は事情が違う。