【原稿】実感を通して学校課題を解決する
【解説】平成30年8月16日記
学校づくりの基本原則を織り込みつつ、できるだけ誰が読んでもわかるように執筆してみました。何人かの管理職の方々から「すごい読みやすいです」「先生の考え方が伝わってきます」等と感想をいただきました。
できるだけ客観的なデータと教師として培ってきた「勘」「観」といったこと。それらがベースとなって学校づくりは行われていくこと。それが必要だという主張です。
※初出 平成29年北海道通信
私には教師として長年培ってきた教育の理想がある。学校に着任すれば、その学校ごとに教育目標があり、目指すべき学校像や子供像というのがある。私の理想やその学校独自の教育目標等を基にして着任した学校を眺めると、必ずと言っていいほど「校長として変えたい」という思いが沸き起こる問題や課題が存在していることに気が付く。
挨拶のできる生徒になってほしい。願わくば全員の生徒たち自ら元気に爽やかに挨拶をしてほしい。しかし、現実にはそうはならない。生徒たちの現実の姿を見るたびに「私がこの学校にいる間に挨拶できる子にしてやるぞ」と思う。そして、いくつかの手立てを仕組む。しかし、その学校を去る時、すべての生徒が挨拶を自らできるようになっているかといったら、夢のまた夢である。結局私がすることは、朝登校してくる生徒たちを明るく、温かく迎えてあげたいということを優先し、生徒玄関に立ち自ら挨拶をすることなのである。
生徒たちには当たり前のことが当たり前にできるようになってほしい。朝、生徒玄関にある靴箱の中に入っている靴を見る。登校してきていない生徒を確認する。その折に、当たり前のこととして靴がきちんと靴箱に入っているかも見る。見るとともに靴の置き方が乱れていることに気が付けば、そっと直したり、かかとが踏みつぶされていればそれも直したりする。指導より生徒理解を優先する。その生徒の靴から、その子の抱えている状況や家庭での様子が垣間見えるのである。
一日に最低三回は校内を歩くことを自分に課している。歩くと様々なことに気が付く。校舎内に漂う空気、教室内から伝わってくる生徒と教師で創られる授業の「熱」。逆に各教師の授業づくりの課題も伝わってくることもある。廊下に落ちているゴミを拾うことでその時の子供の状況がおぼろげながら感じることもある。廊下を歩きながら、日々変化がないように思われる校舎内のわずかな変化を見逃さないように努力する。生徒たちが特別教室で授業を受けているために誰もいない普通教室に入ることもある。机や椅子が乱れていれば、そっと直したりする。子供や学校の変化に敏感であること。それが時には学校経営の解決すべき問題や課題となることに気が付く。
「子どもの事実から教育をスタートさせよ」という教育の根本原理がある。子供の事実には、子供自身が内に抱えている問題や課題だけでなく、その子を取り巻いている状況というのもある。それらを生徒たちと日々接する中だけでなく、客観的なデーター・数値としてとらえる。学力テストの点数。各種アンケート結果からの数値。各種実態調査からの数値など、様々な観点からできるだけ多くの事実を数値として捉まえる。そして時には他のデーターや数値と比較検討する。生徒一人ひとりの実態を正確に理解するためである。
こうして得られた数値が、前述した日々の中で感じている事柄とリンクし、学校経営上の問題点が実感を伴って浮かび上がってくる。当然、問題点は一つではない。いくつもの問題点が学校には存在する。それらの問題を解決するために問題点を絞り込み、優先順位を決め、可視化することを通して、整理し構造化し学校経営を進めていくのである。