教育の質の向上には教師力・授業力の向上は不可欠である

◆本校の職員は、毎日本当によく頑張ってくれている。授業や部活動、そして生徒指導等、時間を惜しむように日々職務に励んでくれる。校長としては、職員の心身のことや家庭生活等のことを考えたとき、できれば早くに帰宅してほしいと思っている。しかしながら、職員は休日も返上して生徒たちの指導等に一生懸命である。

職員は何のために励み続けるのか。それは教育の質を向上させるためである。教育の質を向上させれば、生徒たちも変わる。よりよく変わっていく。成長する。そこにこそ、励む理由が存在する。仮に教師として未熟な面が多々あったとしても、教育の質を向上させようとする教師の頑張りが、生徒に少しでも影響を与え、今より成長してくれるだろうということを信じて職務に励むのである。

勤務時間外縮減と教育の質の向上。この二つには、あい矛盾するようなところがある。できるだけ生徒のために頑張ろうとすると、ある意味、勤務時間は関係なくなる。しかし、時間は無限ではない。限られた時間の中で、いかに教育の質を向上させるかが問われるのである。以前、テレビ番組で『下町ロケット』というドラマが高視聴率をたたきだしたことがあった。『下町ロケット』で描かれていた世界は、少しでも製品の品質を向上させようとする技術者の悪戦苦闘するドラマであった。その世界は教師の世界にも共通するものがあると私には思われた。

教育の質を向上させるために必要なこと。それは教師自身が向上することである。力量をつけることである。私の教師としての成長は、人と会ったり、人の話を聞いたり、勉強会(サークル)を開催したり、セミナーや講演会に参加したり、読書したりすることで形成されてきた。しかし、それ以上に自分の学校の教師達や子供たちに影響されて形作られてきたと思っている。とりわけ、他の教師の実践を見たり、知ることが一番大きなものとなった。「現場から学ぶこと」それが一番大切なのだと思う。

校長となって、一日に最低三回は、授業時間、校内を回って歩く。授業の様子を観察したり、教室の中の雰囲気を感じたりするためである。先日、教室の廊下の窓から、たまたま見えた授業の様子。黒板に外国の本物の紙幣を貼って授業している。生徒たちは、目を輝かせるようにその紙幣を見ている。その授業の様子を見たのは、わずかな時間なのだが、私には興味深く感じ、頭の中であれやこれやを考えることになった。

本物の紙幣を生徒たちに見せるというのは、興味関心をひくだけでなく、実感を伴った理解へといざなうものだ。それは、私が授業者であった時、学んだことの一つだ。「本物」「具体物」の力というのは、予想以上に大きいものがある。優れた教師のお一人である向山洋一氏は「授業の準備はモノを用意することから始まる」と言った。それほどモノの威力というのは凄いものである。まさしく先日見た外国の紙幣を見せるという教師の実践が、そうしたことを思い出させてくれる。そして、教師の提示したモノによって、本校の中学生も他の学校の子供たちと同じように興味関心を高めている。その昔学んだことを私は、その教師の実践を通して再確認することになるのである。「モノの威力は今の中学生、本校の中学生にも通用するのだ」と。

 

全国中学校長会の機関誌『中学校』に早稲田大学教授の田中博之氏が次のように書いている。

生徒が「本当にそうだ」といった納得感や、「難しかったけれど解決できた」といったやり遂げ感を味わえる学習には、できることや分かることの実感を得させる工夫が必要である。

田中博之氏は、実感を伴った理解の大切さを述べている。「モノ」を教室に持ち込むということは、まさしく実感を伴うことになる。これは、教師からの一方的な講義だけでなく、写真や動画等を持ち込むことでも可能となる。当然、授業の組み立て方や授業の展開に応じて、どのようにモノ・写真・動画等を提示するのかという課題はあるものの、教師の言葉だけに頼った授業より、生徒たちの理解は進むものである。

本校では、他の教科でも、写真や動画等をテレビ画面に映し出して毎時間のように生徒たちに見せている教師がいる。生徒たちは興味深くテレビ画面を見つめ学びを深めている。もちろん、教科の特質によって、モノ・写真・画像等を取り入れやすい授業もあれば、取り入れづらい授業もある。そうだとしても、大切なことは「実感を伴った理解」を、どのような方法で達成できるのかを教師が考え抜くことである。

教師が、今、目の前にいる生徒のために考え抜くことが、必ず生徒の事実・教育の成果・教育の質となって現れてくる。基本的に、授業とは、教師と生徒の相互作用の結果として成立するものだからである。教師自身の教師力・授業力向上なくして教育の質の向上はありえないのである。それが私の教師人生三十七年間の実感である。