【教頭通信】校長先生の話から考える授業改善
【解説】令和4年12月1日記
学校教育の基本は、授業です。
授業を子供にとってよりよいものにしていくこと。
そのために教師には授業改善が必要であるということが昔から言われてきました。
それは授業改善することによって、子供の成長を引き出していけるからです。
授業の中で子供が変容していく姿を見るほど教師冥利に尽きることはありません。
※初出 平成12年8月19日
■ 8月18日の職員会議で校長先生は次のように言いました。
2 0 0 2年の新教育課程に向けて先生方には努力してもらっています。
ポイントは、授業改善です。
子どもの育ちに目を向け、授業改善をしてください。
体に気をつけてがんばってほしいと思います。
この日の職員会議の後、H先生を委員長とする校内就学指導委員会が校長室で開かれました。
この席上,授業改善に関わってO先生から、とってもよい資料が出されました。
ご自分の授業改善に向けての2学期の取り組みについて次のように書かれてあります。
3、4年生学級の改善のために取り組まなければならないことは、わかりやすい授業である。
指示が明確であること。
学習にめあてを持たせ、子ども達が何をすればいいかわかる授業づくりを行っていくことを目標に取り組む。
この後、授業改善の具体的取り組みとして3点ばかり書いています。
私は、O先生の授業改善のポイントとして「指示が明確であること」という文章を読んで「その通り」と思いました。
校長先生がおっしゃる「授業改善」という言葉を聞くと、ともすれば何か突拍子もなく大それたことに取り組むように私達は考えがちです。
しかし、一番大切なことは、その瞬間、その瞬間で私達がどのように子ども達へ接しているのかということです。
授業は、教師が子どもへある目標に向けて何事かを指導するということです。
つまり、子どもの指導こそが教師の力量を発揮する一番大切な場面なのです。
人によっては,「指導ではなく支援すべきなのだ」という方もいらっしゃいますが、現在では「指導と支援は対立するものではなく、指導の中に支援という概念は入る」という考え方が通説となってきています。
ともかく、授業改善で大切なことは、教師側の発想ではなく、子ども側の視点に立ち、子どもの生きる力を育むことであるということです。
ところがこのことを誤解して、教師は指導しないのだという考え方に立ってしまいがちなのです。
つまり、子ども側に立ったとしても、教師としてはその裏にきちんと「子どもを指導する」という考え方がなければならないのです。
さて、その教師の指導のポイント。
それは、「教師の発する言葉を吟味する」ということです。
日々、教師はさまざまな言葉を子ども達に投げかけます。
教師の言葉をもとに子ども達は何らかの刺激を受け行動へとつなげていきます。
もちろん、学級づくり、授業づくりが進展していく中で教師の言葉が無くても、子ども自身が考え、判断し、行動できるようになっていくことが望ましいわけです。
そのことを子ども達は、初めからできるはずはありません。
教師の指導の結果、すなわち何らかの言葉の投げかけの上で成立していくことなのです。
O先生が書いている「指示の明確化」
それは、教師の言葉を吟味する上でとっても大切なことです。
教師の発する指示がぐちゃぐちゃだと、子どもの動きも混乱してぐちゃぐちゃになります。
例えば、「教科書を机に出し、ノートに黒板に書いたことを写しなさい」と指示したとします。
高学年になってきたら、この指示でも子ども達は動くかもしれません。
しかし、一年生ならどうでしょうか。
ある子は、教科書を出した後に「先生,次は何するの」と聞いてくるかもしれません。
ある子は、教科書は出さず黒板に書かれたことをノートに写して黙っているかもしれません。
また、ある子は「何に書くの」と聞いてくるかもしれません。
大抵、ここで教師は怒るわけです。
「何を聞いているの。先生の話をきちんと聞きなさい」となるわけです。
しかし、これは教師が悪いわけです。
一年生という子どもの発達段階を考えていないわけです。
一年生には一年生なりの、ふさわしい指導方法があります。
しかしながらこのことを突き詰めていくと、一年生に通用する指導方法はどれで、6年生に通用する指導方法はどれなのかということは一概に決めなれないでしょう。
学級によって、子どもによって違ってきますし、反対にどの学級どの学年でも通用する指導方法というがありえます。
ともかく、その指導方法を考えていくためのポイントが、まず教師の発する言葉を吟味してみるということなのです。
それが授業改善のためのスタートになります。