【教頭会誌】高齢社会型災害
【解説】平成31年2月24日記
平成の時代は、戦争はなかったが、多くの自然災害に襲われた時代であった。北海道も多くの自然災害があった。管理職となった時、どのように子どもの命を守るのか。いつもそれが頭の中にあった。災害が起きるのが登校時だったら、授業時間だったら、家に帰ってからだったら、そのようにイメージし危機管理をしてきた。その想定の中で、いつも頭を悩ましていたのが「厳冬期」だったらどうしたらいいのかという問題である。授業時間に巨大地震が起きる。通例、外に逃げる。しかし、吹雪の日だったら、外に避難することができるのか。きっとできないだろう。体育館だ。しかし、体育館が危険な状態だったらどうするのか。次善の策を考えるのは容易ではなかった。今回紹介するのは、高齢化社会をむかえるにあたって、自然災害が起きた時、真っ先に犠牲になる可能性が高いのは高齢者であるということ。それを考え、災害対策をしなければならないということ。それを子どもにどのように伝えていったらいいのか、その問題提起であった。
※初出 平成14年 管内教頭会誌
今から10年前、阪神淡路大震災が発生した。死者数6433名の大災害であった。犠牲者の多くは、社会的弱者と呼ばれる人たち、それも高齢者(特におばあちゃん)が多かったのである。
その理由とは何か。高齢者は、古い家に住んでいた。その古い家は地震に弱いために家の下敷きとなって亡くなった。仮に生きていたとしても力が弱いため、脱出することができなかった。そこに炎が襲ったのである。
しかし、更なる不幸が高齢者を襲った。それは真冬の寒さである。高齢者は逃げ足が遅く、他の人たちより遅れて避難所に逃げ込んだ。しかし、そのときにはもう既に避難所は満杯の状態であった。その結果確保した場所は、体育館の隅、廊下、階段の踊り場など、寒い風が吹き抜けるような場所であった。
また、高齢者はトイレが近いために他の人に迷惑をかけてはいけないと、トイレのそばに生活の場所を求めた。こうして、持病の慢性疾患をこじらせたり、インフルエンザにかかって亡くなった人たちも多かったのである。その数、なんと900名弱である。災害が起きれば高齢者が犠牲になる。この特徴をとらえて、「高齢社会型災害」と呼ぶ。
それから十年後の平成一六年は、新潟県中越地震が発生。新潟県中越地震においては、40名の犠牲者が出た。そのうち全体の60パーセントにも及ぶ24名が60歳以上の高齢者であった。日本の抱えている課題の一つが、少子高齢化である。今後、少子高齢化に備えて、どのような社会を築き上げていったらよいのか。こうしたことも子どもと共に考えていく重要な学習である。