【教頭通信】生活目標の達成率から考える
【解説】令和元年9月25日記
何事も完璧でなければ気のすまない人がいます。何事も徹底しています。そういう人が世の中にいても全然いいのですが、学校の教師であると、子どもに余計な圧力がかかりすぎて、ともすればうまくいかないこともあるということは頭に入れておく必要があります。忘れ物をする子がいたり、廊下を走ったりする子がいたり、時には喧嘩があったり、そうしたことを受け入れられる教師であることはとても大事です。
※初出 平成13年 教頭通信
■今度は、指導部の先生から出された「生活目標の反省の分析」から考えてみることにします。
プリントには、各学年・各学級ごとの達成率が児童と指導者側から記載されています。
各学級から上がってくる数値を1枚のプリントに仕上げるというのは、なかなか大変なことです。平松先生の取り組みに頭が下がります。
■さて、私はこの1枚のプリントをどのように見たのかを書いてみることにします。
ただ、何気なく見ていたらただ単なる数字が並んでいるだけのプリントです。
その数字から、何を読み取り、どのように今後の取り組みに生かしていくのかということ。
それが大切です。
■私が、まず真っ先に見たのは、数字は何を意味し、その下に書いてある○×は何を意味しているのかということです。
当たり前といえば当たり前のことなのですが、自分の頭で考えるためには大切なことです。
次に見たのは、全体の数字です。どの項目が達成率がよく、どの項目の達成率が悪いのかということを一つ一つ見たわけです。
次に学年の中での数字です。
そして、教師と児童の数字の食い違いがどの項目にあるのかということでした。
■このように見て、気がついたことをいくつか書きます。
まず、全体として児童が考えている達成率が悪いのは以下3点です。
「くつ、いす、机、ロッカーをきれいに整えよう」
「隅々まできれいに掃除しよう」
「忘れ物をしないようにしよう」
の3点です。
ところがこの3点の中で「忘れ物をしないようにしよう」の項目については、教師は「よくやっている」と判断し、児童と教師の判断が食い違っています。
それも教師のほうがよく判断しています。
子どもは忘れ物について厳しく判断していることが伝わってきます。
それは何故なのでしょうか。
それに比べて、「くつ、いす、机、ロッカーをきれいに整えよう」「隅々まできれいに掃除しよう」の2項目は、教師と児童の判断が似通っています。
どちらも達成が不充分と考えています。
■指導がしやすいのは食い違っているほうでしょうか。それとも一致しているほうでしょうか。
もちろん、一致している項目のほうが指導しやすいはずです。
「先生は、椅子の整頓が悪いと思うが、みんなはどう考える」
「私も悪いと思います」
「そうか。先生と同じだ。そしたら、椅子の整頓についてしばらく取りくんでみないか」
等というやりとりを教師と子どもでできることになります。
ところが、教師と子どもで判断が食い違っているとしたら、共通の問題意識で対策を講じることがなかなかできなくなってしまいます。
「笛吹けど踊らず」といった状態が生まれるかもしれません。
■今回の結果から言うと、「くつ、いす、机、ロッカーをきれいに整えよう」「隅々まできれいに掃除しよう」の2項目にまず取り組む事が指導しやすいということになります。
■私なら、6月の生活目標は「くつ、いす、机、ロッカーをきれいに整えよう」にします。
しかも、「くつ」「いす」「机」「ロッカー」の中から、一つだけをまず取り上げ指導することにするでしょう。(私ならまず「いす」を取り上げるでしょう)
しかしながら高学年の子どもたちにとって「くつ、いす、机、ロッカーをきれいに整えよう」という生活目標はどうでしょうか。
ほとんどの子ども達が達成できていると考え、担任の先生も「よし」と考えています。
ですから、その生活目標では有効に働かない恐れがあります。「隅々まできれいに掃除しよう」の生活目標のほうがいいかもしれないのです。
■ところで達成率を問題にするとき、すなわち出てくる数値を問題にするとき、指導者側で気をつけなければならないことがあります。
それは、「完璧さを極度に求めない」ということです。
全校児童、一人残らず忘れ物をしなくなったとしたら、何か異様です。
忘れ物をしないように努力すること・心がけることはとっても大切なことです。
ですから、そのことは指導します。
しかし、一人残らず忘れ物をさせないために体罰も辞さないといった厳罰主義は子どもの心を奥底で傷つけてしまいます。
指導の結果、100%にならなくても気にしないことです。
子どもの生活全体として、もしくは学校全体としてよりよくなっているのだとしたら「それでよし」とすることです。
このことは常に教師は気を付けておかなければならないことです。
校長先生の「子どもが喜んで登校する学校」それを作るためにも大切なことなのです。