【研究紀要巻頭言】建前ではない「明日の授業・実践」に結びつくような研究授業の取り組み

【解説】令和5年1月10日記

先生方に役立つ研修のポイントは、「子供たちにとって益がある」かどうかということです。

きれいな研修、見栄えの良い研修は、どうでもいいことです。

あくまで、学習者である子供たちの成長につながるものでなければなりません。

それは教師の「明日の実践」につながるものだということです。

これは私の一貫した考えでした。

※初出 平成28年2月12日 校長 青坂信司

◆研修の大きな目的は、授業を通して生徒たちをどのように変えていくのかということである。授業抜きで研修を考えることはできない。私たちの仕事は、生徒を変えて、もしくは生徒を髪の毛ほどでもよいが1ミリでも成長させて、はじめて仕事をしたと呼ぶにふさわしいものである。そのために研究授業があり、授業記録を書いていく意義もある。

◆「生徒をどう変えるか」「生徒をどう成長させるか」という前に、「教師自身がどう変わるか」「教師自身がどう成長しようとしているか」が、まず問われなければならない。教師自身が変わるためには「学び続ける」という不断の努力が必要である。今目の前にいる生徒たちの目線となって、先人たちの教師が築き上げてきた財産の中から何を受け継ぎ、何を発展させ、何を付加していくのか、それらの問い詰めが必要である。もちろん、自分自身が受けてきた教育そのものも点検する必要があるだろう。自分自身をも疑ってみる必要、つまり自己点検・自己省察の必要性である。

◆自家用車もあまりなかった時代、教師は自分の実践をガリ版で印刷し、手弁当で集まり学習会を行ったという。その中から、心をうち、胸を打つ教育実践が数多く生まれた。人を感動させる実践。それはあくまでも生徒の側に立とうとする強烈な意志と、それを具現化しようとするたぐいまれな教育方法・教育技術、そして生徒の自立に向けて、限りなく生徒の成長を信じ続けることを背景として成立する教師の具体的な行為とが結び付いたとき可能になる。

◆生徒は多種多様である。強烈な個性を発揮させながら、そこに存在している。また、一人一人の生徒が抱える悩みや課題も様々である。当然、生徒の質は、年々変化している。時代とともに、時代が要請してくる教育の姿も変化している。それにもかかわらず、一教師の持つ教育方法・教育技術が単一で、毎年代り映えがしないということが往々にしてある。それでよいわけがない。同僚から学ぶことはもちろんのこと、外部の多くの人から学んだり、自分の実践を公開して多くの人から批判を仰いだり、これらのことはどうしても必要なのである。

「普段の授業は、自覚と言うより、無自覚の上に日々営まれていく要素が強い。ところが、研究授業とは、教師の自覚のもとに構築されるものである。研究授業における教師の一つ一つの発言なり行動は、授業前に意識的に作り上げておかなければならない。その教師の努力が、日々の授業によい影響を与えていくのである」

というようなことを、昔お酒を飲んだとき、私は若い教師に語ったような記憶がある。

◆かつて研究授業とは、厳しいものであった。教師は、研究授業を通して、はじめて教師として教師たらしめるということが暗黙の了解事項であった。研究授業は、人をうならせるような素晴らしい授業をすることではなく、教師がどのような自覚のもとに授業をしたのかということの方が大切なことである。そして、建前ではない「明日の授業・実践」に結びつくような研究授業の取り組みが必要である。

◆その意味でも今年度の取り組みは明日につながるものであった。研修部を中心とした今年度の取り組みに謝意を表したい。

 

 

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