【学校便り】中学生にとって応援は力となる
【解説】令和4年9月4日記
小学校低学年と中学生では、どちらに応援は効果的に機能するでしょうか。イメージとしては、小学校低学年の子たちに一生懸命応援すると、子供たちも頑張り結果に結びつきそうな気がします。反対に中学生に応援すると恥ずかしがってあまり効果的に機能しないように思えます。
しかし結果は逆です。中学生に応援したほうが結果は出ます。応援を力として中学生は予想以上に力を発揮することになるのです。
ただし、「応援された」という肯定的な感情がその後どのようになっていくのかはわかりません。私の予想となりますが、小さい頃応援されたプラスの感情はきっとその後も生きる力となっていくのではないかと思っています。
※初出 平成27年5月29日 学校便り巻頭言
いよいよ今週の土曜日5月30日は、第65回目の体育祭となります。是非、多くの方々に生徒たちの頑張りをご覧いただき、応援していただければ幸いです。
私が中学2年生の頃のことです。私の中学校では、体育祭は学校のグランドでするのではなく、本格的な陸上競技ができる陸上競技場でしていました。
当時の体育祭は、小学校時代の運動会的要素はほとんどなく、100メートル、200メートル、ハードル、高跳び、幅跳びなどオリンピックで行われるような陸上競技の種目が中心でした。
自分で言うのもなんですが、私はそれなりに足は速いほうでした。特に短距離よりも長距離が得意でした。なにしろ小さい頃の私の遊びの一つには、川の土手を走るマラソンというのがありましたから。
2000メートル(400メートルトラックを5周)という種目があり、私は1年生の時から出場していました。1年生の時にも優勝し、2年生の時にも優勝しました。特に2年生のときには、2位以下に大差をつける優勝を果たしました。
中学校の体育祭には、小学校と違って、応援に来る保護者の方々はほとんどいませんでした。弁当持参で、友達と食べるので、小学校のときのように、昼食時間になると家族みんなで敷物を敷いて輪になってご馳走を食べるということもありませんでした。
そういうこともあって、私の親が見に来るのは、私が出場する場面だけでした。私の家の隣に母方の祖父が住んでいました。祖父は、明治生まれ、肉体労働で鍛えた体で筋肉質のがっちりした体型、無駄なことは話さない無口な人でした。当然、孫のことについて、口出しすることもなかったと思います。また、体育祭に応援に来るなんてことも考えられないことでした。
ところが、私が2年生の時、その祖父が私の応援に来ました。2000メートルの競技が始まり、スタートのピストルの音と共に走り出しました。走り出してすぐに私の目に祖父の姿が飛び込んできました。100メートルスタート地点の第4コーナーの草地に祖父は座っていました。祖父の姿を見て、ドキッとしました。絶対に応援に来るような祖父ではないと思っていました。
ただし、応援に来たといっても、声を出している様子はありませんでした。いつものように表情を変えず、ただ座っているだけでした。そのコーナーに差し掛かると祖父の姿が見えます。なぜか、祖父のためにも負けられないなと思いました。
結果、私はダントツで1位になっていました。そして、祖父は祖父の娘である私の母親に「信司はたいしたものだ」と言って喜んでいたといいます。
そのことを祖父は私に直接言いませんでした。ですから、私をほめていたということを知ったのは、体育祭後の何日も後のことでした。
私にとって二重の喜びでした。一つの喜びは祖父が応援に来てくれたこと、もう一つが祖父が私をほめてくれたことでした。
私にとって喜びであったということを、私は決して口には出しませんでした。しかし、それから45年近く経った今でも覚えているような強烈に印象に残る出来事でした。そして、大袈裟な話のようですが、私の人生を支えてくれた大きなことの一つは、間違いなく祖父が応援してくれた姿であり祖父のほめ言葉だったと思います。
中学生期は、感情と行動がちぐはぐなときがあります。うれしいけど、表情では嫌な顔をする。一種の照れ隠しです。「自分の頑張っている姿を見られたくない、特に親には」という感情も時としてあります。しかし、中学生に対する応援や激励、ほめ言葉は決して無駄になることはありません。反対に人生の支えになることもあるのです。
いよいよ明日は生徒たちが「全身全霊」で頑張る体育祭です。是非、応援に。