【教頭会誌】日常の中にこそ改革の芽はある
戦後の偉大な教育実践家斎藤喜博は、昇任したての校長として「ふきだまり」と言われていた島小に着任する。その小学校を立て直し、「島小の教育」として全国に知らしめる。
その実践記録が斎藤喜博の書いた『学校づくりの記』である。斎藤喜博は、封建的な地域でさまざまな改革を行った。
その改革の中心をなしていたのは、授業を改善することであった。授業を改善することで、職員に教師としての誇りと自信を植え付けていったのである。授業改善なくして真の学校改革はありえない。そのことを訴えていた。
授業時間中は校内を歩く。時には突然教室に入り授業に介入する。放課後、火鉢を囲んでの授業談義。親にも授業の見方を教え、参観日の授業公開の後、親と一緒に担任教師の授業を検討する。
当然、教師からは最初反発はあったが、授業が下手なのが問題なのではなく、上手くなろうとしないことが問題なのだという意識になっていく。
こうした目に付く改革とは別に、斎藤喜博が真に優れた教育実践家であったというエピソードの一つに次のようなことがある。
斎藤喜博が着任当初、職員室は乱雑。教師自身の椅子も出しぱっなしで授業に向かう。しかも、授業開始のチャイムが鳴ってもなかなか教室に行こうとはしない。そんな職員室であった。
そんな中で斎藤喜博は、職員室の職員の椅子が乱れていればそっと直しつづけたというのである。そのうちに、教師自身が直すようになっていく。そして、学校は立ち直っていくのである。
何気ない日常の中に学校改革は潜んでいるのだということを私は学ぶのである。
※初出 平成12年教頭会誌