【月別経営の重点】4月は実践の見通しを持つこと

【解説】平成31年4月14日記

校長時代、職員会議で「月別の経営の重点」を職員に向けて出していた。その月におけるポイントを校長と言う立場で職員に伝えていたのである。最初の頃は、ポイントを箇条書きにして出していたのだが、退職の年、できるだけわかりやすくしようと考え、読み物風にまとめた。今回は、4月の重点である。これをお読みの先生方に少しでも参考になればなと思う。

※初出 平成29年4月

実践における「見通し」の大切さ

若い時、ある研究会で学級づくりの実践発表をしたことがあった。自分の実践に自信を持ち、ある意味天狗になっていた。実践発表する教室には、約40名ほどの教師がいて、なおかつ教室に入りきらない人たちが廊下にいた。私の発表が終わると、質疑応答の時間になった。いくつかの質問があり、いくつかの批判が私になされた。私には、実践の事実があったので、批判されてもそれほど意に介することはなかった。しかし、私の記憶から離れることがなかった批判がある。それはベテラン教師が私に言った言葉である。「この先生の実践には、学級づくりの見通しがない」というものであった。当時、私には「学級づくりの見通し」ということについて、それほど大切なことだとは思っていなかった。学級とは人という生身の人間で営まれる組織体だとしたら、1年後の最終の段階でその年その年で違って当たり前だと思っていたからである。しかし、時を重ねるにつれて「見通し」の大切さを実感するようになっていった。「見通し」を違う言葉でも言うことができる。「ゴールのイメージ」とか「最終局面」といってもいい。

 

実践の見通しは、日々の指導にも生かされる

実践の見通しが、教師の指導に余裕をもたらし、子供のよりよい成長につなげることができる。例えば、長いスパーンでの実践ではなく、短期の実践で考えてみよう。修学旅行に行く。ホテルの部屋に入る。整理整頓・清掃が行き届き大変気持ちがいい。その部屋を子供たちが使う。当然、子供たちが宿泊するのだから、次の朝には乱雑になっている。先生は子供たちに片付け・清掃を指示して、気持ちよくそのホテルから出発しようとする。「先生、清掃終わりました。点検してください」と子供が言いに来るので見に行く。すると教師から見るとまだ不完全である。「まだ汚い!やり直し!」と指示するが、子供の側はきょとんとしている。どこが、どのようにダメなのかがわからないのである。ようするに最終形のイメージが教師と子供たちの間で共有されていないのである。

次の日の朝、部屋をきれいにして後にするというのは、使う前、つまり部屋に入る前がポイントなのである。ホテルに入って部屋を見せた段階で「明日の朝、部屋を出るとき、使用する前と同じ状態で部屋を返すこと。それがマナーです。この状態を覚えておきましょう。覚えられないグループは、部屋の場所を決め、それぞれ担当を決めて覚えましょう。写真に撮っておくことも良い」もちろん、その時の子供の実態や発達段階で変えることはある。しかし、原則は使用前の状態を覚えさせ、その状態を理想としてイメージ化しておくことなのである。これが実践の見通しにつながるのである。

 

実践の見通しを持つために意図的な研修の必要性

1年後、すなわち来年の3月、その学年での最終形をどのようにイメージしておくのか。教師には、そのイメージが必要である。若い時は、そのイメージを持ちにくい。その日その日が精一杯のこともある。教師としての実践を積み上げることで、実践の見通しができてくる。教職の経験年数がものをいう。しかし、年数ばかりではない。意図的に勉強し、実践をするということも効果がある。優れた実践の書籍を読む。身の回りの先輩教師から教わる。時には、いろいろな研究会に参加し、自分なりの「実践の見通し」を持つ努力をする。理論化された文献から学ぶ。さまざまである。これらの努力をしていくと徐々に教師としての見通しが身に付いてくるのである。

 

子どもの「姿」から「規律の内面化」に向けて

さて、このような努力以外にも方法はある。それは目の前の子供たちが「姿」として見せてくれる。そこから学ぶことである。先日あった始業式。生徒たちは、1年間のスタートにあたって、その時の最高の姿を見せてくれるものである。例えば、右の写真。生徒たちが起立した時の様子である。写真から、生徒たちのスタートするにあたっての緊張感や意気込みが伝わってくるようである。この姿を1年間通すことができるか。4月の始業式というある意味特別な時以外にも、自らの意志で「美しい姿勢で起立できること」これが「規律の内面化」である。

生徒用ロッカーへのカバンの入れ方。小学校でもきちんと指導されている。1年生のロッカーの様子。カバンがきちんと収納されている。見た目にも美しい。しかし、見た目の美しさ以上に大切なことは、「秩序感覚の育成」はこうした何気ないところから培われるということだ。脳は「統一性・一貫性」を好む。思春期はこの「統一性・一貫性」とともに「新しいものへの挑戦心」というのも強く芽生えてくる時期である。「統一性・一貫性」と「挑戦心」は、ある意味矛盾する。新しいことに挑戦しようとすることは、今までの在り方を否定することにつながり統一性・一貫性を打破しようとすることにつながるからである。思春期は、脳の働きが発達する時期なのだが、時として暴発、暴走をする。脳の働きを自らコントロールするためには、「当たり前のことを当たり前にする」という習慣がとても大切になるのである。脳をコントロールしながら、肝心なことには失敗を恐れず挑戦させることが思春期にある生徒たちには大切なことなのだ。

 

子どもの「姿」から「能動性の涵養」に向けて

始業式における生徒会副会長の挨拶。全校生徒の前で挨拶をすることは大人であっても緊張する。何を話していいのかわからなくなる。話そうとすると頭の中が白くなって、覚えていたことが飛ぶこともある。だから、紙に書いて、それを読みたくなる。しかし、紙に書いたものを読み上げるだけでは、生徒の言語能力は鍛えられない。極端な話、受け身の姿勢は変えられず、主体性というのは育ちにくい。それは学力に反映されてしまう。だから、できるだけ原稿を見ずにスピーチするということは生徒の能力を鍛えるうえで重要なことなのである。〇〇君は、紙を持って登壇した。しかし、紙を演壇の上に置き、できるだけ見ないようにしながらスピーチした。これも大切な一歩である。前向きな一歩である。この姿を評価し、他の生徒にも広げていくこと。これが学校としての「能動性の涵養」である。

「能動性の涵養」でいえば、オリエンテーションにおける生徒会役員の在り方も立派であった。生徒会の目的や組織についてプレゼンを使用しながら説明した場面。プレゼンは役員たち自らの力で作成したものだ。そのことを生徒会担当の安立先生から聞いた。この情報は、私にとってとてもうれしいものであった。

 

4月における生徒の「姿」のほんの少しだけを紹介した。これらの「姿」が来年の3月まで持続し、なおかつ「質の向上」を目指して紆余曲折はあるにしてもいくつもの布石を打ちながら指導していけるのか。それが「実践の見通し」ということなのである。

 

学力テストから考える「実践の見通し」

文協学力テストの結果から見た「実践の見通し」ということについて考えてみよう。

先日の結果から、新1年生は過去最高の平均点「56.7」からスタートすることになった。今後の見通しとして、過去の例から考えると平均点は下降していくものと思われる。中学校の学習内容、中学校の学び方、部活を含めた中学校生活の在り方に慣れるまで時間がかかるからだと思われる。しかし、問題なのは下降することをストップさせ、どこで反転することができるかである。そのためにどのような指導を教師側で積み上げていったらよいのか。そのことが教師側には問われる。

現中2生は、1年末段階で下降を緩やかにし、今回上昇へと転じさせた。大きな反転である。

現中3生は、1年生の中盤11月ごろに上昇に転じることに成功した。これは、その時の生徒たちの実態や指導の在り方によるもので、早ければ早いほどいいということを意味してはいない。「遅咲き」が良いということもあるのだから。

現中3生は4月、予想以上に下降した。3年生は、学校の中心であり、さまざまな面で忙しくなる。それゆえに下降することは、ある意味いたし方のないことである。しかし、私たちが考えておかなければならないことは、この下降の裏側で「学びから逃避」する生徒が増えていってはいないのかを注意深く常に観察していくことである。その上で教師側は、必要に応じて授業改善や「救いの手」を差し伸べてあげることが求められるのである。

文協学力テストは、その年度によって違っているようだが、結果は似たような傾向を示している。その点からすると、生徒に対する指導ばかりではなく、教師側にとって学習指導の改善のための参考資料とはなる。

 

実践を見通したうえでの試行錯誤が教師を鍛える

前掲したグラフから、「実践の見通し」というものが見えてくる。「一年生は下降する傾向にある。生徒の実態や自分自身の教師としての指導法から、その原因を推定し、その原因克服の対策を立てて実践すれば、一年生といえども向上させることはできるのではないだろうか」このような仮説が浮かび上がってくる。日々、日常に流されがちが実践から、見通しを持った前向きな実践へと転換できる。仮に対策が間違っており、目に見える効果がなかったとしても、その試行錯誤は次の実践へとつながっていくのである。それが教師としての力を鍛えていくのである。

◆5月のメインは、言うまでもなく体育祭の取組になります。この取組を通して、生徒は心身ともに鍛えられていきます。一皮むけます。そして中体連へとつながっていきます。しかし、ともすれば体育祭の取組についていけない生徒もいます。先生方の配慮で、昨年度は随分改善しました。ありがとうございます。

◆生徒に任せすぎると、「生徒同士で首を絞める」といったような過度なプレッシャーとなることもあります。疲労からケガになることもあります。生徒の状況を十分に把握しながら、時には教師がコントロールしてあげることも考えておくことも必要です。どうぞよろしくお願いします。

 

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