【校長通信】自分の苦手なことを振り返る

【解説】令和5年6月6日記

自分自身を出していくこと。

それは決してスマートなことではないかもしれませんが、私の生き方としていつも心がけていたことでした。

自分を飾ることなく、自分の弱さもありのまま出していくことが、他人との関係を築く時には必要ではないのか。

そんなことを思いながら教職員人生を送ってきました。

校長には、2つの側面があります。

一つは経営者としての側面。

もう一つが教育者としての側面です。

この教育者としての側面を考えた時、「自分のすべてをさらけ出していくことで、本当の教育ができる」ということの大事さが見えてくるのです。

※初出 平成22年7月1日

◆講演会や会議で、いつも私は困ることがある。それは、メモしながら人の話を聞くことができないということだ。今まで、多くの先輩諸氏から、「人の話を聞くときにはメモをしなさい」というようなアドバイスをうけてきた。「人というのは、忘れやすいものだ。だからメモをするというのはとても大切だ」というような話を聞くと、「その通りだ。これからは人の話を聞くときはメモをしよう」といつも決意する。しかし、実際にやってみようとすると、からっきし駄目である。メモしていると、話し手の話していることが私の頭の中に入ってこないのである。メモするだけで精一杯である。メモするのでさえ、「どんなことを書いたらいいのだろうか」とか「今の話のポイントは何かな」等と考え出すと、聞く方は完全に疎かになる。だから、人の話を聞き洩らさないようにしようとすると、当然メモはできなくなるのである。そのために、会議で「青坂先生、記録をお願いします」と言われるのが、とても怖いのである。しかし、司会なら大丈夫である。記録する必要はなく、話の出てきた順番に従って、整理にしていけばよいからである。

 

◆「~しながら~する」というのを、脳科学では「並列処理」というらしい。特に高機能自閉症の子どもたちは、この並列処理(二つのことを同時に処理する)を苦手としていることが多いという。これは大人になっても同じと言うから、私は「並列処理が苦手な人」ということになるのだろう。電話しながらメモする、授業を受けながらノートをとるなど、他の人が気軽にやっていることが私には苦手なのである。

 

◆今では、特別支援教育の理解が進んできたことで、教室の前面を飾り立てる先生は、ほとんどいなくなったが私が若い時はけっこういた。私もまた、子どもの自画像を飾ったり、詩を掲示したり、学級目標を派手にして飾り立てたものだ。しかし、私が小学生だったらどうだろうか。きっと私は、授業に飽きてきたりしたら、教室の前面に掲示されているものを見て、「あの字、変だな」とか「あいつの描いた絵、おもしろいな」等と授業とは関係の無いことを考え、集中できなかっただろうと思う。座る席でも同じだ。特に私の見えるところに好きな女の子の顔が見えたりしたら、それだけで授業には集中できなかっただろうと思う。聴覚情報より視覚情報の方が、私にとっては刺激が強いのである。

 

◆また、私は人と視線を合わせるのが苦手である。今は、あまり抵抗はなくなってきたが、若い時は人と視線を合わせるのがあまりできなかった。相手の視線に耐えられないのである。そのために相手のおでこや口元を見ることをしていた。先輩の教師から「教師は、子どもと視線が合わせられないと仕事にならない。そのためにも、人と話している時は目を合わせろ」と言われた。その話を聞いてから、努力するようになった。努力するようになって最初の頃は、わずかな時間しか相手の目を見ていられなかったが、意識して努力したせいか、少しずつ目を合わせられる時間が延びてきた。

 

◆このように考えてくると私は、「発達凸凹のある大人」なのかもしれないなと思う。

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