【PTA機関誌】「泣くも笑うもみんな一緒に」
【解説】平成31年4月15日記
校長は、多くの場面で挨拶をしたり、なにがしかの文を書いたりする。多くの学校のPTAでは機関誌を出している。その巻頭で校長も挨拶文を書くことがある。私は、校長が書く挨拶文を、形式的・機械的なものにはしたくないと常に考えてきた。自分の心情をエピソードを交えて吐露したりすることで、ほんのちょっぴりでも読み手の心に残るものになるように工夫して書いてきたつもりだ。そのために若い頃から「自分の言葉」で書くことに努力を費やしてきた。学校の保護者が読む機関紙でもそのスタンスを変えることはなかった。
※初出 平成27年 PTA機関誌 巻頭言
教師になってから一〇年間、別海中央小学校に勤務していたので、今の中学生の親に私が教えた子達がいる。また、その後上風連小学校にも勤務していたので、その時の教え子もいる。当時のまだまた若く未熟だったことを知る教え子たちにすると、私が中央中に着任したなんてことは想像できなかっただろうし、ましてや校長となって戻ってくることも考えもしなかっただろうと思う。
私には、若い頃からの教育信念があった。「一人ひとりを限りなく大切にする。そのために差別的な言動は許さない。」ということであった。
ある会があった。そこで教え子たちから「青坂先生が、いじめから私たちを救ってくれたんです」
その言葉を聞いて、涙が出るほどうれしかった。今から振り返れば、正直、誇れるようなことはしていない未熟な教師であったが、教え子たちに一つでも心に残る何かを残せられたのではないかと思った。
校長となって、生徒と接するのはごく限られたものとなった。先生方には、一人ひとりの生徒を大切にしてあげてほしいと頼んでいる。そして、本校教職員一人ひとりは毎日生徒のことを考え、一生懸命になって取組んでいてくれる。もちろん、教職員によって、指導力の差はあるのだろうから、生徒や保護者の皆様から誤解や満足のいかないことも多々あるのではないかと思う。
しかしながら「誤解」も「満足のいかないこと」も教師にとっては大切な学びである。そうしたご指摘を謙虚に受けながら教師は試行錯誤しながら成長するし、何にもまして生徒の成長を願ってのことなのだから、その「心」を大切にしている限り、今伝わらなくても、いつかはきっと生徒もわかってくれることが多いのだと思う。
「暮しの手帖」の前編集長松浦弥太郎さんのエッセイ集。そのエッセイ集を読んでいたら、高村光太郎の詩で「最低にして最高の道」というのがあった。残念ながらどのような詩なのか全文が掲載されていなかった。気になったので、ネットで調べてみた。次のような詩であった。
最低にして最高の道
高村光太郎
もう止さう。
ちひさな利徳とちひさな不平と、
ちひさなぐちとちひさな怒りと、
さういふうるさいけちなものは、
ああ、きれいにもう止さう。
わたくし事のいざこざに
見にくいシワを縦によせて
この世を地獄に住むのは止さう。
こそこそと裏から裏へ
うす汚い企みをやるのは止さう。
この世の抜駆けはもう止さう。
さふいふ事はともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑ふもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。
教師もまた、生徒や保護者と共に生き、共に成長していく存在である。「泣くも笑うも一緒に」である。