【雑誌原稿】提言・これまでの家庭学習どこに問題があるか~基礎学力形成が直接の目的ではない~

【解説】令和2年7月9日記

家庭学習は、強制すべきものではない。

子供の学びたいことを自由にやらせることが一番である。

それは、今でいう非認知能力を育てることになるからである。

この原稿の執筆当時は、非認知能力という言葉はなかった。

なかったが、振り返ってみれば、当時主張していたことは、家庭学習では非認知能力を育てるということであった。

※初出 平成16年8月 『心を育てる学級経営』(廃刊)

西欧文明とは対照的に、古来日本においては、額に汗して働くことを尊んできた。勤労を尊び、どんな職業であろうと、日本人はまじめさと努力で生きてきた。日本人の精神性を基盤として日本は発展してきたのである。

その精神性は、家庭においても育まれてきた。家を支える家族の一員として、毎日家の手伝いをし、少しでも家族の役に立とうとしてきた。まじめにこつこつと努力し生きていれば、必ず報われる。そんなことを親は子に伝えてきたのである。

現在、この日本人の精神性が危機的な状況であると言われている。この危機的状況を踏まえ、故小渕総理大臣は「ものづくり懇談会」を立ち上げ、平成十二年五月に提言をまとめ上げた。その提言の中で、ものづくりは二十一世紀における日本の生命線であり、その基盤は人づくりにあるとの問題提起を行った。

昔の日本人は「勉強している暇があったら、家の手伝いをしなさい」とよく言われたものだ。少し前は、「家の手伝いはしなくていいから、勉強をしろ」

それが今ではどうだろうか。「家の手伝いも勉強もしなくてもいい。健康で問題を起こさなければいい」といった雰囲気である。

「まじめに勉強することは、かっこ悪い。」「努力するのはダサい」これら子ども達に見られるまじめさや努力を否定する考え方は大人社会の反映であり、ものづくり懇談会が指摘した危機的状況と無関係ではない。

いわゆる家庭学習は、家庭教育の一部分である。こつこつと学習することは、尊敬されこそすれ蔑まれるようなものではない。

家庭における学習時間を調べたことがある。結果は三〇分前後である。小学一年生から六年生まで、たいして変わらない。ほとんど家では学習していないという実態が明らかになったのである。

学習をしなければ、家で何をしているのか。手伝いか。これもまた違う。意識の高い家庭では、ある程度の学習もさせるし、手伝いもさせる。しかし、そうでない家庭も多い。テレビゲームにどっぷり使ってしまっている子供がいる。朝、テレビゲームをしてから登校、一日6時間もテレビゲームしているのである。

一時期、まじめに勉強することを「ガリ勉」と称したり、安易に偏差値教育と結びつけたり、勉強することが心から切り離された頭でっかちの人間を育てるがごとく蔑まれてきた。

家庭では、基礎学力形成のために家庭学習をするのではない。基礎学力をつけることは学校に責任がある。教師の教え方こそ問題にすべきだ。

それでは、家庭学習の目的とは何か。それは、子どものまじめさや努力する心を育むということである。家庭では、短時間でもいいから自分だけの静かな世界で、自分がやりたいこと・やるべきことに、こつこつともくもくと取り組む。その上で、家での手伝いも立派な教育であるという考えに立てば、さまざまな家庭学習が考えられるだろう。

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