【学校便り】「人としての根っこの部分を大切にする」
【解説】令和元年9月21日記
今回紹介するようなことを書いたとき私は、私自身のことをよく考える。自分自身がきちんとできているのか。自分自身の日常生活がきちんとしていて、はじめて子供たちにも言うことができるのではないか。何もできていないのだとしたら、偉そうに御託を並べるな。とそんなことをいつも自問自答していました。教育者であり続けるということは、結局教師自身も成長することなしには成り立たない職だと思います。
※初出 平成26年6月 学校便り
◆生徒たちの頑張っている姿を見るのが好きです。部活動でひたむきに練習している姿、学習に真剣に取り組んでいる姿、学校行事で熱中して皆と協力し合っている姿などを見ていると、どれも素敵だなと思います。
◆6月から7月にかけては、中体連があります。7月末には吹奏楽コンクールがあります。それらの大会で、優秀な成績をおさめてくれることを期待しますが、その「結果」より大切なことは、大会やコンクールに向けてどのように取り組んだのかということの方が、私にとっては気になることです。そのポイントになるのが「当たり前のこと」がきちんとできるということです。
◆部活動の練習を見に行くと生徒たちが「こんにちは!」と大きな声で挨拶をしてくれます。練習中、脱いだジャージをきちんとたたんでいる姿も見られます。しかも、自分のだけでなく、他の部員のジャージもたたんでいるということも見かけることがあります。挨拶、整理整頓の実践です。こうしたことも「当たり前のこと」として、生徒たちは行動しています。
◆我喜屋(がきや)優(まさる)さんという方がいらっしゃいます。我喜屋さんは、沖縄県興南高校野球部監督に就任したその年に夏の甲子園出場を果たします。その後、甲子園連続出場。そして春夏連覇という偉業を果たし、高校野球界では名監督と言われた方です。我喜屋さんは、監督時代に何冊かの本を書いています。どのように選手を指導し、育てたのかということが書かれています。我喜屋さんは、人としての「根っこ」を育てなければ、決して強くはなれないし、社会人になってから成功することはできないといいます。我喜屋さんは次のように書いています。
私が監督に就任したときの、興南高校野球部は、基本的なことを何一つできなかった。荒れ放題、散らかり放題の寮。食事は残す、好き嫌いは多い。挨拶すらちゃんとできないという有様だった。
これでは、どんな指導をしたところで野球が強くなるはずがないのだ。なぜなら、人としての「根っこ」の部分が、きちんと育まれていないからだ。 スポーツ経験がある人ならば、誰もがわかるだろうが、体格や技術は優秀な成績を出すために大切な要素である。しかし、恵まれた体格、そして技術を持つ選手が、精神的に踏ん張れなかったために、「あと一歩」というところで辛酸を舐めることが多いのも事実である。 反対に、体格的にも技術的にも不利と云われた選手やチームが、精神力で予想以上の結果を出すこともスポーツにはよくあることだ。つまり、人としての「根っこ」の部分が問われるのである。そして、それはスポーツに限ったことではない。人生全てにおいて「根っこ」の部分が問われるのだと思う。 |
◆「根っこ」を鍛えるために我喜屋さんが指導したこととは次のようなことでした。
- 早寝早起き
- 食事を残さず食べる
- 整理整頓を心がける
- 身だしなみを整える
- 大きな声で挨拶をする
- 自分の言葉で、意見を伝える一分間スピーチ
- 自分のユニホームは自分で洗う
- 毎朝、15分間、散歩をする
◆以上のことは、それほど大変なことではないように思われます。しかし、これらを徹底してできるようにさせるというのはなかなか困難なことです。我喜屋さんは、しつこく、何度も何度も話し、やらせたといいます。
◆人としての当たり前のこと、ごくごく基本的なことがしっかりできること。それがとても大事です。上西中でも、その「当たり前のこと」を大切にしています。挨拶、ロッカーの整理整頓など、人としての「根っこ」の部分を指導することに留意しています。また、生徒たちに「当たり前のことを当たり前にする」ということが徐々に浸透し、毎日落ち着いた学校生活を送っています。今後とも、この立派な行動が継続し、習慣となって定着してくれることを願っています。