【学校便り】「勝ちに不思議の勝ちあり」

【解説】令和5年1月18日記

この学校便りの中で、松浦静山の言葉を引用して私は次のように書いています。

「自分の欠点・弱点・不足しているところ・足りないことを素直に反省し、決しておごることなく、うぬぼれることなく謙虚に、あくまで謙虚に人としての行うべき正しいことをただ、ただ実践していくことが大切なのだ」

大人が子供たちに何かを語り掛けるとき、「大人として、子供たちの見本となるような言動をしているのだろうか」ということが常に付きまといます。

大人としての自分がよりよく生きていないで、何故子供たちに偉そうに語れるでしょうか。

自分の生き方を「謙虚に」振り返りながら、「謙虚に」教育実践を積み上げていくことが大切なのでしょうね。

※初出 平成28年6月1日

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

この言葉は江戸時代後期の剣術の達人松浦静山の言葉だそうです。この言葉の意味は、「勝つときには、どうして勝つことができたのか理由がよくわからない時もある。しかし、負けるときには、負けるだけの理由がきちんとあり不思議なことではない。」

 

◆松浦静山は次のようにも言っています。

「道にしたがい、道をまもれば、勇ましさがなくても必ず勝ち、道にそむけば必ず負ける」

この「道」とは、辞書的に言えば「人のふみおこなうべき道理」という意味になります。もう少し簡単に言えば「人としての行うべき正しいこと」といったことになるでしょうか。ともかく、人として行うべき正しいことをきちんとやっていれば、必ず勝ち、日々いい加減なことをしていれば必ず負けるのだということです。

 

◆この2つの言葉「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と「道にしたがい、道をまもれば、勇ましさがなくても必ず勝ち、道にそむけば必ず負ける」 よく考えてみれば、矛盾していそうなことを言っています。「勝つときにはどうして勝ったのかわからない時がある」その一方で「人として行うべき正しいことをしていれば必ず勝つ」というのですから。

 

◆この2つの言葉には、現代でも通じる大切なメッセージが込められていると私は思います。それは、不調な時は当然ですが、順調であるときも、自分の欠点・弱点・不足しているところ・足りないことを素直に反省し、決しておごることなく、うぬぼれることなく謙虚に、あくまで謙虚に人としての行うべき正しいことをただ、ただ実践していくことが大切なのだ、ということです。

 

◆昨年4月に本校に着任して1年以上がたちました。昨年、本校の生徒たちに出会ったとき、とっても素直で明るい生徒たちだなと思いました。そして、1年が経ちました。現2年生、3年生を1年間見続けてきました。見続けてきて思います。1年前も立派でしたが、それ以上に、今はもっと成長しているということです。生徒たちは良さを伸ばしながら、より大人へと近づいていることを実感するのです。

 

◆1年前「小学生、小学生」していた2年生。体も大きくなり、心も逞しくなってきました。1年前の現3年生は、1年上の先輩の陰に隠れ、リーダーとしてやっていけるのだろうかという不安もありました。しかしどうでしょうか。この体育祭の取組を見ていると「さすが!」と思わせることがたくさんありました。春休みから準備を始め、中央中伝統の応援合戦の振り付けや後輩たちに対する指導の仕方などを考え実行し、体育祭を大成功へと導きました

 

◆この1年の間には、多少のトラブルやいざこざ、問題行動はあるものの、ある意味、順調に生徒たちは成長してきました。この順調な時だからこそ、今一度自らを振り返り、周りを振り返り、改善すべきことがないのか、周りの人たちに感謝し忘れていることはないのか、困っている人たちはいないのか、謙虚に、謙虚に考えていくことが必要なのだと思います。

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