【学校便り】「自信に満ちた学校」とは

【解説】令和5年1月17日記

学校で教わることとは、ほんの一部分です。

多くは、学校外や家庭や読書、遊びなどから人は学んでいます。

自分では「学び」と自覚しない「学び」です。

どの「学び」にも共通していることがあります。

「出来なかったことができるようになること」「わからなかったことがわかるようになること」そして「見えていなかったことが見えるようになること」です。

この中のどれか一つでも達成できると、人は満足するものです。

そして、自分に自信を深めていくのです。

学校は、少なくても前述した3要素の学びは無くてはならないものです。

※初出 平成28年4月28日

◆鉄棒をギュッと力を込めて握ります。何回も練習してきたのに逆上がりができません。「イーチ、ニー、サン」の掛け声と共に勢いをつけて足を振り上げます。体がエビのように反ることはなくなっていましたが、鉄棒より上に足が上がっても、もう一歩のところで回ることができません。「今度こそ」鉄棒を軽く握り、左足は地面につけ、右足だけを振り子のように振ります。そして掛け声。「イーチ、ニー、サン」左足も右足も地面を離れ、両足が空に向かっていくように一直線になります。私はひじが伸びきらないように必死でひじを曲げ、体の中心のおへそあたりを鉄棒の方にもっていきます。鉄棒、ぎゅっと握る両手、両足、そして両足の上に青空が見えます。青空が見えたと思った瞬間、私は頭をそらせていました。すると、茶色の地面が見え、再び青空が見えました。見事逆上がりができたのです。地面と青空が一回転する感覚。小学生の私は心の中で「ヤッター!」と叫んでいました。何か誇らしいような、体の中から喜びが噴出してくるような感覚。そして一刻も早く誰かに伝えたい感覚。できなかったことができるようになるということは、こんなにも心を震わす喜びとなるのか。そんなことを思い出します。

 

◆小学6年生の時、川を題材にした写生会がありました。先生は「見たとおりに描け!」これが私たち6年生に与えたアドバイスでした。小学校のそばにある函館の中心部を流れている新川という川に行って、みんな思い思いに描きます。私は先生から言われたアドバイス通りに描こうとしました。木はこげ茶。川の色は水色ではなく茶色。私には、どう見ても、そのようにしか見えなかったのです。案の定、私の絵は暗く陰気な絵となっていました。転校生に佐藤君という子がいました。佐藤君の絵を何気なく見て、びっくりしました。それこそ目玉が飛び出しそうになりました。佐藤君の画用紙の中には本物に見える木があり、川が流れていました。「どうしてこんな風に描けるの?」「例えば、木はね。こちら側とこちら側で色を変えるの。太陽のある方は茶色。反対側は黒を塗るの」その絵の描き方の知識は私には全くないものでした。

 

◆中学生のとき。きっと入学のお祝いだったと思います。おばさんから図書券をもらいました。私は、実家から歩いて20分ほどの港に近いところにある神田書店に行きました。袋に入った図書券をポケットに入れて「何の本を買おうかな」と迷いつつ、本棚に並んでいる本を見ていきました。そして『頭の体操』という新書版の本が目に留まりました。1ページに1問、クイズのような問題が載っています。そして、イラストも私の興味を引くような感じでした。問題文の最後には「制限時間1分」とか書いてあります。「なんだ。この挑戦してくるような感じは」「僕が制限時間内にきちんと解いてやるわ」と思いました。当然のように私は図書券で『頭の体操』を買いました。そして家に戻ってすぐに問題を解き始めました。どの問題も解けそうで解けないような問題。腕時計を手元に置いて、問題文の最後に書いてある制限時間内で解けると「ヤッター!」という思いになります。逆に、制限時間内で解けないと悔しくて、悔しくて。食事する時間さえもったいなくて、『頭の体操』に無我夢中になりました。『頭の体操』の第一巻目が終了すると、私はすぐに書店に走りました。そして図書券で5巻目まで購入しました。面白くて、面白くて。こんなに脳みそを使い、考えることが楽しいなんて。

 

◆学校とは「できないことができる」「わからないことがわかる」そして脳みそを一杯使う場でありたい。それが生徒の自信につながると私は考えています。

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