【教頭通信】子どもの事実が出発点・その2
【解説】令和4年11月16日記
だいぶ前に書いたことを読み返していると、今でも通じることなのだろうかなと不安に覚えることがあります。
少なくても、今でも確かなことでなければなりません。
昔は正しい・常識だと思われていたことでも、時がたつと否定され新しい考え方になっているということはよくあることです。
今回は、歯科健診から見えてくることについて書いています。
健診結果から、子供の実態を把握し、問題点や教育の課題を推測していくことは大切なことだと思います。
※初出 平成13年4月25日
■うれしい話を聞きました。
図書館バスが毎週来ています。
今週も24日(火)に来ました。
司書のKさんと本校職員が話をしたときのことです。
Kさんが、本校職員に「飛仁帯の子どもたちは、素直でいい子ばかりですね」と話してくださったそうです。
素直な子どもたち、それは子どもらしさを失わない「子どもらしい子」だとも言えるでしょう。
「子どもらしい子」と言うのは、とっても大切なことです。
子どもは子どもらしく。
それが一番です。
■うれしい話をもう一つ。
歯科検診がかもめ号の来た日にありました。
検診が全て終わって、歯医者の先生に「子どもたちの口の中、汚かったですか」と帰り際の図書室で私は聞きました。
先生「いえ、きれいでしたよ」
先生達が帰ってから、養護の先生も「先生、他の学校に比べても飛仁帯の子どもたち、口の中がきれいで、思ったより虫歯が少なかったと先生が話していました」というようなことを私に伝えてくれました。
■虫歯の数というのは、家庭教育が反映されます。
私も父親になって、はじめてわかりました。
幼児の歯をきれいに保つ、虫歯の無いように保つというのは、とっても大変なことです。
幼児は、自分では歯を磨こうとしません。
反対に歯を磨くことは嫌がります。
乳児の頃から、母親が歯磨きすることを嫌がる子どもをなだめすかしながら、歯磨きをしてあげるのです。
最初の頃は、食事が終わるたびに母親が歯磨きをしてあげます。
しかし、幼稚園に入る頃から、子ども自身で歯磨きをさせ、最後に母親が仕上げ磨きをする段階になります。
当然、自分では歯磨きをしない子、仕上げ磨きを母親がしようとすると嫌がる子などが出てきます。
そんな子どもをなだめたり、時には叱ったりしながら、歯磨きの習慣化を図っていくわけです。
また、習慣化していくためには、生活リズムが一定でなければ続けていくことはなかなか困難なことです。
あるときは9時だとか、あるときは10時過ぎだとかしていると、ついつい面倒になり、やらなくなってしまいます。
■残念なことに、中には虫歯になってしまう子もいます。
虫歯を治すのは、基本的に歯医者でなければ出来ません。
放っておいても、悪化することはあっても基本的には治ることはありません。
そこで虫歯を早期に治療する必要性が出てきます。
親は、虫歯になった子どもを歯医者に連れて行くことが必要になるわけです。
ここで、親が「虫歯は命にはかかわらない」と思ったり、連れて行くのが面倒だと思ってしまうと、子どもは放ったらかしの状態になります。
一本だけの虫歯が、いつのまにか二本にも三本にもなり、虫歯も進行していたという状態になってしまうわけです。
要するに、乳幼児期に於いての虫歯というのは、家庭の責任が大きいのだということです。
■さて、そんな子達が小学校に入ってきます。
親たちの多くは、ここで誤解をします。
小学生になったら、何でも子ども自身で出来ると思ってしまうのです。
歯磨きは、自分でしなさい。時間割も自分でしなさい。
しかし、急に小学生になったからといって、何でもかんでも自分一人で出来るわけではありません。
自分一人でできるようにしていくことは、とっても大事な教育なのですが、だからと言って子どもをいきなり手放してしまうことは決して良い結果を生み出しません。
それなりの段階を踏んで手放してあげることが必要になります。
■話がちょっとずれてしまいました。
飛仁帯の子どもたちの口の中がきれいだということを聞いて私がうれしく思ったというのは要するに次のことなのです。
学校の中で、歯磨き指導がきちんとなされているということ。
家庭でも、子どもの生活習慣を意識的にか無意識的かわかりませんが、きちんと整えていっているのではないかと予想できるということ。
家庭で、虫歯のある子を治療のために歯医者にきちんと連れていったのではないかということ。
こうしたことが複合的に作用して、子どもの口の中がきれいになっているのだと私は思ったわけです。