【教頭通信】時数の管理は子どもの学習権の保障につながる

【解説】令和4年12月8日記

学校教育は、目的的・計画的・系統的・連続的に営まれる必要があります。

これを「時間」「内容」「方法」「評価」で具体的に表したのが、「教育課程」です。

何事かを教える「時間」は定まっています。

その「時間」、つまり全国の学校教育においては等しく「時数」は定まっていますから、この「時数」の中身をいかに意味あるものとしていくかがとても大切になります。

※初出 平成12年8月31日

■先日の職員会議で、教務の先生の時数一覧表に関わって、校長先生は,次のように発言しました。

時数の見とおしを持つことでゆとりが生まれます。

私が教務時代に大事にしていたことの一つに「時数管理」ということがあります。

この時数管理というのは、教務をやったことの無い方には理解できないかもしれませんが、教務の仕事の中心が時数管理だ、と言ってしまってもいいくらい大事な仕事です。

それは、時数を管理することによって、「子どもの学習権を保証する」ということにつながるからです。

例えば、教師一人一人の仕事の進め方の速さは違います。

また、考え方も当然違います。

そのために実際に子どもを教えていることには、バラツキが生じます。

教える内容は、ほぼ同じ内容なのにも関わらずバラツキが生じるのです。

こうした一人一人の教師の教え方の違いを最小限度に抑えようという意味もあり、時数という面からの管理が必要になるわけです。

 

■教師の恣意、学校の恣意を許さないために、時数という見える形で把握することが公教育の一定の水準を保つことにつながります。

教師の恣意、学校の恣意を許すということは、結局いい加減な教育をするということですから、それらを未然に防ごうというわけです。

ともかく、本校の教育の水準を一定に保つためには、教務が行う時数管理はとっても大切だということを理解してください。

その上で、時数管理が自分の実践に生きてこなければ意味がありません。

ただ、時数合わせを一覧表の上だけで行っていても意味が無いのです。

そのことに直接的に實任を持たなければならないのは、当然日々授業を行っているー人一人の教師です。

一人一人の教師が、ただ決められた時間があるからとか、蒔間つぶしでしょうがなく授業をするという怠惰な姿勢ではいけないのです。

 

■さて、時数を意味あるものにしていくためにはどうしたらいいでしょうか。

それは、年間計画と週案を結びつけることです。

先生方には,教務手帳が渡され、その中には週案があるはずです。

そして、年間計画も年度初めに立てられ、学校経営計画の中に納められています。

このことはほとんどの学校で行われていることです。

ところが、年間計画と週案が結びついていない学校、教師がほとんどなのです。

機械的・形式的に年間計画は立てられ、それをほとんど見ることなく、週案を各教師が立てるのです。

何故、こんなことが起きるのかというと、子どもと直接対面し、教育実践を行っていると、年間計画通りにはいかないことが多いからです。

このことは、ある意味において仕方の無いことです。

しかし、行き過ぎると各教師の恣意が働きやすくなっていきます。自分の勝手に教育を進めてしまうのです。

「今日は勉強したくないから外に散歩」「今日は教えるのがめんどくさいから、自習」なんてことになってしまいます。

また、時には子どもの生活態度が悪いので「説教タイム」と化してしまいます。

このような日々行われてしまいそうなことが、徐々に積み重なって学期末には大慌てで教科書の未習部分をやるということになってしまうわけです。

 

■教務手帳の週案に日付を年度末まで入れてしまいます。

年間行事計画で決まっている行事も入れてしまいます。

あらかじめ分かっている実施しない「校時」にも斜線を入れます。

そして、今度は学期末までの時間割を作ってしまいます。

「この後どうなるのかわからないから、作られない」と考えていると結局は見通しが持て

ないのです。

学期末までとりあえず作ってしまうと、後は微修正ですみます。

また、何時間の余裕があるということもはっきりと見えます。見通しを持つということは,具体的に何かをしなければ見えてこないものなのです。

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