【校長通信】当たり前のことが当たり前にできる子に

【解説】令和4年12月17日記

校長職についてからは「校長通信」を職員室向けに出していました。

その第1号が今回紹介する通信です。

新任校長として、まず何を大切にしたいのか。

大きなことではなく、足元の何気ないことを大切にし、そのことを指導できる教師であってほしいという私の願いを入れて書きました。

※初出 平成22年4月8日

◆野付カッキンズのブログを見た。このブログは、Tさんが書いているらしいが、はっきりはしない。ともかく、このブログを見てうれしくなった。野付カッキンズは、野付小の低学年が入部している野球少年団である。その4月7日のブログに、右のような写真が載っている。その日、指導者が何点か注意しようとしていた。しかし、その活動する場所の玄関に靴がきちんと揃えて置いてあった。驚いたらしい。そして、挨拶も素晴らしかったという。左の方の乱れている靴は、春休みで来ていた上級生のものだというので、校長の私としては、嬉しさ半分といったところではある。それにしても、野付カッキンズの低学年の子たちは、4月になって変わろうとしている。その心が伝わってくるエピソードだ。

◆教員になって小学校しか知らない私が、野付に来る前、4年間中学校を経験した。この経験は、私にとって大変貴重なものとなった。中学校では、三つの指導ができて一人前だという。その三大指導とは、「教科指導・生徒指導・部活指導」である。この三つのどれかに手を抜くと、必ず生徒の荒れた姿となって現れる。生徒からも保護者からも信頼を無くする。私の本音は、教師は授業で勝負だと思っているが、授業が未熟であれば、その他の指導でカバーしなければならないこともあるだろうと思っている。中学校の荒れは、低学力の子たちを、授業の中で力をつけさせ、少しでも自信をつけさせることが荒れ克服への第一歩である。しかし、それはなかなか理想であり、困難な道だ。

 

◆ともかく、三大指導の一つである部活指導に当たる中学校教師の多くが考えていることは、「部活指導とは生き方指導なのだ」ということだ。勝つことは目指す。しかし、それがすべてではない。子ども達が、悩み、苦闘しながらも3年間続けることで、生きていく上で大切な何事かを獲得していくこと。それは、友情であったり、努力であったり、感謝であったりする。すぐれた部活指導者が、最初にすることは、最初の一歩。それをどのようにするかだ。「管内大会で優勝する」「全道大会に出場する」といった高い目標を掲げる。しかし、実際に行動させる最初の一歩は、何気ないことだ。放課後、体育館で選手が練習している。指導者が体育館に入る。挨拶の声。脱いだジャージの置き方。靴の揃え方等など、それこそ強くなることとは直接関係ないようなことに意を払う。すぐれた部活動指導者は、必ずその点から指導する。それは、勝つためには、生活の在り方や心の在り方が正されていなければ、決して強くはなれないということを知っているからだ。そして、教育の一環として部活動指導に当たっているということを知っているからだ。当たり前のことを当たり前にする。それが最初の一歩である。

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