【論文】日本教育技術学会で「小さな行動」の「小さな一歩」の大切さを発表する
【解説】平成30年12月13日記
私は、日本教育技術学会の会員です。今から20年前、初めてその学会で発表しました。生徒指導に関する論文です。この論文では、私が当時考え、実践していた「行動を重視する」ということを述べたものとなっています。とらえどころのない「心」を問題にするのではなく、「行動」こそ問題にし、適切な「小さな行動」をとらせるということを主張しています。この考えは、その後も私の実践を支えるものとなったものです。
※初出 平成10年 日本教育技術学会 発表レジュメから
1.問題の所在
現在、日本の青少年には、さまざまな問題が噴出している。児童・生徒の問題行動としてのいじめや不登校、学級崩壊、また少年犯罪の薬物乱用、凶悪事件、犯罪の低年齢化、性犯罪等の問題。それらは、今後増えることはあっても減ることはないだろうといわれ、戦後少年刑法犯検挙人員の第4のピークをむかえつつあると言われている。
こうした中で、中央教育審議会(中教審)は「ゆとり」の中で子どもたちに「生きる力」を育み、「心の教育」を推し進めていこうとする答申を発表した。すなわち、「心の教育」によって現状を乗り越えていこうとしているのである。
社会経済生産性本部社会政策特別委員会が「選択・責任・連帯の教育改革~学校の機能回復を目指して」と題して発表した中間報告書では、中教審の答申には「耳を傾けるべき提案がいくつかある」としながら、「心の教育」について批判している。例えば、次のようにいう。
人間の「心」というあいまいなものに原因を求め、「心」がむしばまれたから問題行動が起こる、「心」を教育すれば問題行動が起きないはずだというのは、根拠のない考え方である。むしろ、適切に「行動」できないことなのであり、その背景にある病理は無連帯(アノミー)である。適切に行動する訓練こそが大切であり「心」が問題なのではない。 |
この考え方は、学校教育における生活指導という分野が担ってきた考え方である。
坂本昇一氏は、『生活指導の理論と方法』(昭和53年、文教書院)で次のようにいう。
われわれの生活は、自分のあり方を選択することの連続であるともいえる。このような場ではいつもこのような行動をとればよいというように、静的な一定的の場がいつも人間に用意されているとは限らない。
むしろ、それぞれの場で、どのような行動をとったらよいか適切に選択するための能力を児童・生徒が身につけていなければならないことになる。すなわち、適切な自己決定ができるような能力を児童・生徒の中に育てることである。そのために、決められたことを決められたように決められたやり方でやらせるということではなく、必ず、自己決定するという要素がどこかに入っていなければならない。 |
翻って、現場の教師として考えてみると、「心を育てようとしない教育活動・生徒指導」はありえない。常に問題を起こす児童・生徒を何とかよりよくしようと考えて日々の実践に当たっているのである。ところが、現実は多くの教師が考えているようにはならない。悪戦苦闘が続き、疲れきっていっているというのが大方の教師の現実なのである。そうした中で、「心の教育」を強調したところで、その通りだなと思いこそすれ、だからどうしたらいいの、というのが現場の教師の本音であろう。
現場の教師として考えることは、坂本昇一氏が述べていた生活指導の考えや社会経済生産性本部社会政策特別委員会の中間報告書で述べていた「行動」を重視するという考え方をどのようにしたら現実のものとしていけるのかということを教育技術・方法という形でいかに提起していけるのかということであろう。それが結果として「心の教育」につながるのだろうと私は考えるのである。
2.「行動の教育」への第一の視点
「適切な行動」「適切な自己決定」ができるようにするためには、いくつかの観点があるが、ここでは子どもたちに「小さな行動」の「小さな一歩」をまずどのようにさせるのかということをまず問題にしたい。
ある状況において、子どもたちが「適切な行動」を起こすというのは、ある種の勇気を必要とし、自分の行動に対してそれなりの自信がなければできないものである。自己肯定感・自己有用感が必要である。教師は学校のあらゆる場面において、子どもの「適切な行動」を見逃さず、そこから「行動の教育」をスタートさせていくことが必要である。ともすれば、どの行動が適切であるか、どの行動なら教師から是認されるのかというを子どもたちは知らない。反対に不適切な行動をとることで、周りの友人から称賛されたり、教師の関心を引くことができたりすることを知らず知らずに学習していくことがある。それ故に、学校教育の早い段階から、子どもの「適切な行動」を見逃さず全体の場で称賛したり、「適切な行動」をとれるように促したりしていく必要があるだろう。その第1歩が、「小さな行動」を起こさせていくということである。
3.授業実践例
小学2年の授業実践例を次に紹介する。平成10年9月21日に行なった。原実践は馬場慶典氏(別海町立上風連小学校)である。
授業が始まってすぐに次のように問う。
発 問
みんなに子どもがいたとします。その子どもにどんな人になってほしいと思いますか。 |
列指名で次々に当てていく。
・偉い人 ・有名な人 ・お金持ち ・社長等が発表される。
「小さなことができる人」(『子どもを変えた親の一言』明治図書所収)という作文を読み聞かせる。
読み終わって、次のように語りかける。
今、教室にくる時廊下を通ってきたら、壁に貼ってあった友達の絵が落ちていました。しばらく貼ってあったので落ちやすくなっているのでしょうね。そして、だれにも気付かれず、廊下に落ちたままになっていたのでしょう。先生は、それを見て「小さなことができる人」になろうと考えて、その落ちていた絵を貼り直してきました。 |
語り終えて、「こんな作文もあります」と言って、「おちた からばこ」(『子どもを変えた親の一言』明治図書所収)という作文を読み聞かせる。子どもたちは、シーンとして聞いている。
授業後、3名の女の子がニコニコしながら、「私もね、絵、落ちていたのできちんと貼ってきたよ」と言ってきた。私は、「すごいね。小さなことができる人だね」と言ってほめてあげた。
4.「適切な行動」を記録し劇的にほめる
教室の中には、目立たない子、おとなしい子が必ずといっていいほど存在する。その子たちが案外「適切な行動」を日常的にとり続けている。そして、そのことで学級の秩序が保たれていることが多い。 そうした子を取り上げ、劇的にほめることで教室は変わっていく。