【月別経営の重点】5月「学校行事で子供は荒れる」?
【解説】平成31年4月26日記
もう少しで平成が終わる。即位の礼などがあり、今年は10連休。長い休み明け、今年は特に今回紹介するようなことに気を付けなければならないのかもしれない。連休明け後の学級では、さまざまなトラブルが生じやすい。トラブルが起きるのは不幸なのではなく、「ラッキー」と思って取り組む方が精神的には楽だ。また、実際にトラブルは、学級そして一人一人が成長していくためには必要なものなのだから。
※初出 平成29年5月 月別経営の重点
◆5月のメインは、言うまでもなく体育祭の取組になります。この取組を通して、生徒は心身ともに鍛えられていきます。一皮むけます。そして中体連へとつながっていきます。しかし、ともすれば体育祭の取組についていけない生徒もいます。先生方の配慮で、昨年度は随分改善しました。ありがとうございます。
◆生徒に任せすぎると、「生徒同士で首を絞める」といったような過度なプレッシャーとなることもあります。疲労からケガになることもあります。生徒の状況を十分に把握しながら、時には教師がコントロールしてあげることも考えておくことも必要です。どうぞよろしくお願いします。 |
「学校行事で子供は荒れる」?
前回、私は実践における「見通しの大切さ」について書いた。その時期、その時期で子どもはどのような姿を見せ、学級集団はどのような特徴を見せるのか。それらをある程度踏まえた上で、目指すべき子供像・集団にしていくために、日々どのような指導を積み重ねていくことが大切なのか。それが見通しの大切さということであった。
見通しの大切さでいえば、この時期、つまり体育祭の取組のある時期はどのように言われてきたか。先輩教師からよく言われてきたのは、「行事で子供は荒れる」ということである。考えてみれば、この言葉、不思議な気がする。私たち教師は、学校行事を通して子供たちを成長させたいと思っている。ところが逆に学校行事が子供の荒れを生んでいるのだとしたら本末転倒である。荒れてはほしくない。しかし現実はどこか落ち着きがなく、浮ついた感じとなる。授業に集中できず、時として私語もある。ざわざわした授業。休み時間は、金切り声を上げてみたり、妙な所で興奮したりする。忘れ物も多くなる。友達とのトラブルも生じがち。時には、クラスの仲間を冷やかしたり、馬鹿にしたりする。こうした現象は、学校行事の終了後、顕著になったりする。
学校行事は非日常
学校行事で心も体も育ってほしいと思っているのに、これは変だ。どうしてこのようなことになってしまうのか。まず第一に学校行事は子供たちにとって非日常である。人間の脳は「統一・一貫性」を好むといわれている。統一・一貫性があることで、脳は無駄なエネルギーを使わないで済む。日常とは、ある意味究極のマンネリである。これは決して悪いことではない。人間という種を維持していく上で「統一・一貫性」というのはとても大事だったのである。
ところが、新しい事態に出会った時、人間はその事態に適応することが求められる。統一・一貫性の観点からいうと、極めて不都合な事態が生じたことになる。そのために人間の反応は二つの分かれる。一つが前向きに考えること。「ようし、この問題を解決して、自分を成長させていくぞ」等とプラスに考えていく。もう一つが、逆に考えること。「めんどくさいな。今までどおりでいいじゃないか。変える必要なんてないよ」とマイナスに考えることである。新しい事態に直面した時、人間にはこのプラスとマイナスの矛盾する考え方が生じるのである。
集団として成長していくことは矛盾を乗り越えることである
学校行事とは、非日常であるがゆえに、普段なら問題なく過ごせていたのに、統一・一貫性から外れるためにプラスとマイナスの感情が沸き起こることとなる。例えば「もっと変えて、有意義な行事にしよう」という考えと、「取り組むことがめんどくさいのに、変えるとなれば大変だよ」といった考え・感情とのぶつかり合いが生じるのである。これは取り組み方に関する矛盾だが、それ以外にも人間関係の矛盾とかもつれといったものも顕在化しがちなのである。
しかし、学校行事がこの統一・一貫性を壊す矛盾を乗り越えた時、感動も大きくより有意義なものとなるのである。
人を馬鹿にする雰囲気のあるところでは成長できない
それではマイナスの感情を克服し、少しでもプラスへと変えていくためにはどうしたらよいのか。まず第一に重要なことは、集団の中に人を馬鹿にしたり、冷やかしたりすることがないことだ。つまり差別的言動があると、どうしても人をねたみ、足の引っ張り合いが生じるのである。「心を一つにすること」「仲間を大切にすること」「人間誰でも失敗する。大切なことは前向きに考えること」など、青春ドラマのようにちょっとくさい言葉だが、とても大切なことだ。
子供集団の土台には、この一人一人が大切にされる集団、前向きに考える集団、助け合い・支え合う集団の土壌がどうしても必要なのである。この土壌は、精神的にまだ未熟な子供自身ではつくりあげていくことは困難である。その土壌を作り上げていくのは、やはり教師の一番の仕事ということになる。
日常を大切にすることが非日常を有意義なものとすることができる
第二に重要なことは、日常を大切にするということである。毎日繰り返される挨拶・時間を守る・靴箱やロッカーなどの身の回りの整理整頓など、当たり前のことを当たり前にすることである。また日常の学校生活の中で一番重要な授業を大切にすることである。学習態度・学習規律がきちんとしているか。それらを普段より注意深く観察することが教師には求められる。また教室中がシーンとなるような集中する時間を一時間の中で10分でも15分でも確保することである。集中する時間確保には「書く活動」が効果がある。それは難しいことではなく「教科書を写す」「黒板を写す」といった簡単なことでもよい。
また、その日の日課を突然変更するといったことはできるだけ避けなければならない。突然の変更は、脳の統一・一貫性からみると最悪なのである。特に発達障害を持つ子供には混乱とパニックをもたらすことになりがちである。「当たり前のことを当たり前にする」という日常を大切にするというベースがあって、非日常である学校行事への取組に子供たちは集中し、新たなものを産み出していこうとするエネルギーが出てくるのである。
◆6月のメインは、中体連への取組が重要ですね。放課後、部活動の生徒たちのカバンの置き方を見て、すばらしいなと思いました。やはり部活動は、中学生にとって、大変大切なものであり、生き方を学ぶ上でも有意義なものですので、何気ないところにその部の力が垣間見えるものです。その意味からも先生方がきちんと指導されていることを感じることができます。
◆生徒会長さんに「最近、みんなの挨拶どうですか」と聞きました。すると笑顔で「全然さわやかでないです。挨拶しても挨拶してくれない人が多いです。全校集会で言おうと思っています」とのことでした。いいなと思うと同時に、生徒会役員たちの取組を後押ししてあげたいなと思います。 |