【雑誌原稿】授業の始まり三分間~三分間の中に教え方のエッセンスが凝縮されている~
【解説】令和2年7月7日記
技術を知っているからといって、それを使いこなせるとは限らない。
使いこなせるようになるためには、自覚した「時間」が必要である。
数多くの練習の場をくぐる必要がある。
それも緊張感があり、適切にアドバイスしてくれる熟達者がいる場である。
私には、決定的にそれらの場にさらすことが不足している。
不足しているから、優れた授業ができる「プロの教師」には最後までなれなかった。
ここで紹介しているのは、初めて子供たちと対面する飛び込み授業。
その授業の導入開始3分間の出来事である。
※初出 平成16年4月 『教室ツーウェイ』原稿
授業の始まり三分間をどうするか。それは子どもの心をしっかりとつかむことである。そのためには、「笑顔で明るく子どもに接すること」「無駄な言葉を排除することでリズムとテンポを生み出すこと」が必要だ。
昨年十一月、大森修校長先生の新潟県新津市結小学校の研究会に参加した。そこで河田孝文氏の道徳の授業を参観した。一年生に飛び込み授業をする。その日初めて会う子ども達である。
河田氏は授業の始まり三分間、どうするだろうか。
河田氏は、「おはようございます」と明るく挨拶をしながら子ども達の前に立つ。間髪を入れず「全員起立」。
「先生の名前、言える人」
一人の子が手を挙げる。その子の方に歩み寄りながら指名する。「河田先生」。握手をして子どもを褒める。再び問いかける。
「先生の名前、知っている人」
多くの子が手を挙げる。一人の子を指名する。当然正解である。やはり大いに褒める。
三度目の問いかけ。
「先生の名前、知っている人」
元気よくほとんどの子が手を挙げる。今度は指名するのではなく「みんなで言いましょう」と全員に言わせる。子ども達は、一斉に大きな声で「河田先生」と言う。すかさず「声が大きいからうれしい」と子ども達を褒める。
ここまでで三度子ども達は「河田先生」と言ったことになる。次に違う問いかけをする。
「先生がどこから来たか知っている人」
ここでいくつかのやりとりがある。そして、その最後に四度目の問いかけ。
「先生の名前、言える人」
「河田先生」と全員で言わせる。
ここまでで二分である。その後、「それじゃ、授業始めます」と言いながらスマートボードの前に立ったのである。
河田氏自らは、一度も自分の名前を子ども達に向かって言っていない。河田氏は、四度自分の名前が何と言うのか問いかけている。それにも関わらず強烈に子ども達に印象付ける。
最初は「先生の名前、言える人」という問いかけである。授業の最初、子ども達は緊張している。緊張しているから、あえて「言える人」と問いかける。知っていても言えない子もいる。知っていて、なおかつ言える子は勇気があって賢い子だ。
二度目の問いかけは、「先生の名前、知っている子」だ。前の子の発言をきちんと聞いていれば、子ども達は教師の名前を知る。前の子の発言をきちんと聞いていたことを褒めたのと同じなのだ。
三度目は二度目と同じ問いかけ「先生の名前、知っている子」である。二度目と違う点、それは個別に答えさせるのではなく全体に言わせたことだ。そして褒める。「声が大きいから、うれしい」
わずか三度の問いかけで、発言すること、聞くこと、大きな声で発言すること、それらを指導したのと同じなのである。
最後の四度目。違う話題を置くことで時間があく。そして、「先生の名前、言える人」である。知っていてなおかつ言うことができることを尋ねている。「もう一歩の突っ込み」である。
二分間の中で変化のある繰り返しを使って、自己紹介したのである。これぞプロである。