【教頭会誌】学び続けること

私には,さしたる取り柄もない。これと言って人様に誇れるような趣味もない。教師なのに字も下手,歌も下手(音痴)、絵も上手には描けない。そんな教師失格の私でも教師を続けてこれたのは,それなりに学び続けてきたからだと思っている。

がむしゃらに子どもを指導してきた。取り柄がない分,自分なりに学び続け、学んだことを子どもにぶつけていかなければ、私には教えることはできなかった。

担任時代,子どもとの関係が上手くいかず,子どもの可能性を引き出すことができず、毎日が苦痛であることがあった。30代の一番脂の乗り切ったときである。

それまでの教育実践に自信を持ち,どんな子どもたちでも指導できると思っていた。それらの自信はもろくも崩れた。

何故,上手くいかなかったのか。それははっきりしている。自分が教師として学ばなくなっていたからである。それまでの自分に胡座をかいていた。天狗になっていた。

そのことに気が付き,再び学び始めたとき,子どもも変わってきた。それは鮮やかなくらいであった。「学ぶ教師だけが子どもの前に立てる」その言葉を実感した。

教頭となって,私は学び続けているだろうか。職業人として職員の前に立つとき,自信を持って指導・助言できているだろうか。

そして、指導・助言するときの根拠となるべき実践や理論,そしてそれらの裏側にある私自身の人間性はどうであろうか。教頭二年目,私にはまだまだ多くの学ぶべきことが残っている。偉大な先達に少しでも近づきたい。それが現在の私の心境である。

【初出 平成13年教頭会誌】

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