【原稿】学習集団をつくる「学習ルール」づくり

【解説】平成30年8月18日記

現在の私なら、今回紹介するような方法だけで、学習ルールを作っていくことはないでしょう。できるだけこのようにはします。しかし、この実践をするためには前提があります。子ども一人一人の実態を的確にとらえておくということです。子どもの中には、やはり明確な指示でなければ動けない子もいます。障害をもった子もいます。そうした子どもたちに安心感を持たせ、教室の中に居場所を作ってあげるということは大切なことです。ですから、子どもの実態に応じて学級を構想していかなければならないのです。具体的な手法も、その時で変わってきます。

「子どもの事実」「子どもの良さを引き出す」ということから学級経営をしていくことは基本となります。「学習ルール」は必要。その上で、それをどのように作り、機能させていくのか。そのポイントは、子どもを育てていく見通し、目標とする子供像・学級集団像のイメージをきちんと持つことです。

※初出 1990年『知的学級集団づくりの筋道』下書き原稿

以前、NHKの教育テレビで「授業」という番組があった。有名人が自分の母校で後輩達に自分の得意なことを授業するというものである。

その番組の中で、私には時おり不思議に思うことがあった。それは、授業をしている有名人にではなく、授業を受けている子供達の授業態度であった。

有名人が子供達に向かって話をしている。その話を子供達がじっと聞いている。その時の子供達の態度に不自然さを感じるのである。それは、手をイスの後ろに回して組んでいるという姿勢であった。

もちろん、それは、有名人が教えたことでもなければ、子供達自らがやったことでもないだろう。その子供達の担任である教師が「聞く」ことに集中させるために子供達に教えた「学習ルール」だろうと思われる。

この様な「学習ルール」を私は子供達に教えたことがない。この様な「学習ルール」が嫌いなのである。子供達をイスに縛り付け、教師の話を黙って聞け、といったかんじが嫌いなのである。

私は、子供達の頭が学習していることにたいしてフルに働いているのであれば、形にこだわりたくない、と思っている。

私の「学習ルール」に対する考え方は、これからの学習集団づくりにおいて必要とされることにたいして、子供達の自主的な動き方から創りあげていく、ということである。

具体的には、四月の子供達との最初の出会いから行う。私は、始業式の前日に、黒板に次のように書いておいた。

 進級おめでとう

今日からあなたは、中央小の五年生です。

先生が教室に来るまで、五年生にふさわしい行動と心で、

先生を待っていてください。

これは、子供達に対する私の一つの挑戦だった。

始業式、子供達はそわそわしているだろう。新しい友達、新しい教室、そして新しい先生、どれもこれも子供を興奮させるにたることばかりなのである。そわそわしていてあたり前なのである。チャイムがなっても、教室の中を走り回ったり、教室の外に出てうろつきまわりたいだろう。

そこで、私は上記のように書いておいたのである。

しかし、これだけでは具体的にどうして良いのか子供達はわからないはずである。だから、子供達は考えるだろう。どうすることが「五年生にふさわしい行動と心」なのかと。

考えても、どうしていいのかわからなければ騒いでいるだろう。どうしていいのかわかっても、そわそわする気持ちの方が勝っていれば、やはり騒ぐだろう。子供達は、私の期待に応えることができるか、それが挑戦だったのである。

子供達は、静かに席に座り(この席もまだ決めていなかった)私が来るのを待っていた。子供達は、「チャイムがなったら静かに席に座っている」という方法を「五年生にふさわしい行動と心」の最善のものとして選択したのである。

そこで私は子供達を多いにほめた。

「りっぱですね。さすが別海中央小の五年生です。チャイムがなったらきちんと席についていたのですね」

私は、子供達にチャイムがなったら席に付く、ということを子供達の行動から教えたことになる。ここで私は学級の中に一つのルールをつくったことになるのである。

私は、この出会いを通して子供達に学級は自分達の頭を使い自分達自身で創りあげていくものだ、ということを伝えたかったのである。

そして、この考え方を私は授業でも一貫させていくのである。例えば、私は発問は板書して子供達に示す。そうすると、発問をノートに写す子と写さない子が出てくる。そこで私は、写した子のノートを見て「りっぱですね。先生が何も言わなくてもノートに写しているのですね」とほめる。そのことが、写していなかった子もノートに写していくことにつながっていくのである。

私は、この様な方法を繰り返していく。もちろん、ある時には「ノートに写しなさい」というふうに明確に指示を出していくこともある。しかし、原則的に私は子供達の事実から授業を創りあげていく、ということを念頭においている。

そして、発問がノートに写せると、「答えも書くのですか」という質問が出てくるようになる。「そうですね。それができるとりっぱですね」と私は答える。

このようにして、必要と思われる「学習ルール」を一つ一つ子供の具体的な行動の事実をほめることによって学級に機能させていくのである。

この様な指導を繰り返すことによって、私が何も言わなくても自分達だけの力で授業を進めていくことができるようになっていく。

一人の若い男性教師が私の授業を参観して、次のような文を書いてくれた。

私が教室に入ったときには、授業が始まっていた。数人の子が、黒板の周りに集まっていた。どうやら、自分の考えはAかBかを示すカードを貼っていたらしい。

私は、男の子に差し出されたイスにどっとこしかけ、青坂先生から渡された授業記録と教科書を読んでいた。早速、討論は始まった。授業記録を読んでいた私は、読むのを途中で止め、子供の発言に集中した。集中したというより、「集中させられた」という感じだった。

子供達の激しい発言に、顔を上げずには、いられなかった。一人が発言する。すると、握りこぶしを力強く斜め前につき出した子が、中腰になって待っている。そして、前の子が話しおわると、口をとがらせて反対意見を述べるのである。

その他の子は、どうなっているのだろうと、周りを見回してみる。すると、様々な子がいる。自分の席を立ち、教室の後ろのロッカーから辞書を持ってきて、言葉の意味を調べている。そして、調べた意味を討論のあいまをぬって発表するのである。言葉を根拠にする授業をしているためであろう。また、ある子はひたすらノートをとっている。私が見た後ろの方の子は、一時間の授業の間で、二ページ以上も自分の考えをつらねていっていた。その間も激しい討論は続いているのである。

授業の途中で「勝ったあ」と叫んだ子がいた。相手を言い負かしたとき、そう言うのだろうか。しかし、「いや、まだだよ」と反論は続いていった。

私は、一時間授業を見て、子供が何を言わんとしているのかわからなかった。教科書を見て、必死に考えるのだが、よくわからなかった。次から次へと押し寄せてくる子供の発言のスピードについていけなかった。「子供に負けた」そんな思いであった。と、同時に聞いている子は、理解しているのだろうか、という思いも抱いてしまった。

だが、その点をカバーする指導がされていた。「自由バズ」で、わからない子は聞きに行く、という方法をとっていた。また、授業が終わってから、ノートを集め、評価を与えていた。

そんな細かな指導があって、初めて討論の授業は生きるのだと思った。討論を仕組むには、相当の教師の力量が必要である。

「今日の授業で、一番勉強になったのは何か」と聞かれたら、すかさずこう答えるであろう。

「討論の授業は、とことんまでやらせる」と。

小さな事実の積み上げがこういった授業につながっていっている、と私は考えている。

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