【教頭通信】子どもの事実が出発点
私は、前号の最後で次のように書きました.
「現場の人間がすべきことは、日々の子どもたちの事実から目を逸らすことなく、子どもの可能性を少しでも引き出すことです。」
子どもの現実の姿をまず見るということ.
これが教育の出発点です。
例えば、下の写真(※略)を見てください。始業式における子どもたちの様子です。K先生がデジタルカメラで子どもたちの様子を撮った中の1枚です。
みなさんは、この写真の中に写った子どもたちの様子を見てどのように感じましたか。
私は、とっても感心しました。
6年生の立っている姿、とっても美しいですよね。背筋が伸びています。
校長先生から名前を呼ばれることに緊張し、これから最高学年としてこの飛仁帯小学校を引っ張っていくのだという気概が表れています。
また6年生だけでなく、2年生の座っている姿も美しいですね。竹内さんの姿が特にすばらしい。背筋がすくっと伸びています。手もひざの上です。
自分たちの番はもう既に終わったのに、あたかもこれから自分が呼ばれるといった雰囲気で座っています。
平成13年度のスタートである始業式として最高のスタートであったと私は思います。
さて、始業式における子どもたちの姿はその日たまたま出来たことでしょうか。そんなことはありません。やはり先生方お一人お一人の1年間の教育の成果として、もたらされたものだろうと思います。私はそのように考えています。
ほとんどの教師は知っています。授業時間中、子どもたちの姿勢をずっと美しく保つことがいかに難しいことなのかということを。それも1日や2日の指導で改善させることはほとんど無理だということを。姿勢を良くするということには、長い時間がかかります。毎日口うるさく言っても、ちょっと目を離すとすぐに悪くなってしまいます。
なにげないようなこと、ささやかなこと、これらを1年間かけて繰り返し繰り返し指導していくことがとても大切なことです。
例えば、「おはようございます」という挨拶。今週は、朝の職員打合せで子どもたちの挨拶が悪いことがたびたび取り上げられました。そのために「学級で指導してください」ということも出されました。
しかし、その教室での指導が説教ばかりになっていませんか。挨拶する子に育てるために説教ばかりしていたのでは反対に子どもの心は閉ざされ心の底から挨拶する子には程遠くなってしまいます。
挨拶できる子にするために一番大切なことは、教師が子どもたちに挨拶をするということです。かりに子ども達が教師に挨拶をしてこなくても気にしないことです。教師が繰り返し繰り返し子どもたちに挨拶をしつづけることです。
このことが指導の基本です。その上で、挨拶することの意味を語ったり、挨拶の練習を教室でさせたりすることが出てくるのです。
私たち教師はともすれば理想の子ども、目指すべき子ども像というものをあらかじめイメージとしてもっているだけに、その方向に無理にでも引っ張っていこうとします。
目標に近づけていくようにすることはとても大切なことです。しかし、子どもの実態からあまりにもかけ離れ、子どもに無理なことを強いるということは避けなければなりません。子どもの心を奥底で傷つけてしまうことがあるのです。
1枚の写真に現れた子どもたちの姿勢の美しさ。この美しさを今後とも大切にしたいものです。そのためにも子どもの事実を見つめ、子どもの事実から教育を出発させることが必要なのです。
【初出 平成13年4月13日 教頭通信サシルイ】
≪次号に続く≫