【教頭会誌】学校・家庭・地域の連携を図るために ~ 親の苦情から連携のあり方を考える

【解説】令和2年5月27日記

幸いなことに私の担任時代、保護者から苦情を言われたことはなかった。

しかし、今から思えば、管理職が全て適切に対応していてくれたかもしれないのである。

教師として未熟だったのだから、苦情の一つや二つはあったのだと考えたほうが自然である。

担任には言えない。

言えないから、管理職に電話をかけ訴える。

その時に、管理職がどのように対応するかでずいぶんと違った展開になる。

今は、あまり言わなくなっているかもしれないが「説明責任」「結果責任」そして「行動責任」ということがポイントとなる。

※初出 平成16年

一 親の苦情は予想以上にある

担任時代には、それほど感じなかったが、教頭という管理職の立場になって、学校や担任教師に対して、これほど保護者からの苦情が多いものなのかということに私はびっくりしている。担任が予想している以上に親は管理職に苦情を寄せている。そう思って間違いない。

それでは、どのような苦情が来るかといったら、大体似た傾向がある。

親の学校への願いは、二つぐらいになる。一つは「安心して学校に登校させられること」、もう一つは「他の子に遅れないできちんと勉強についていってほしい」ということである。

この二つのことがかなえられないと感じると、管理職に匿名で電話をしたり、手紙を書いてきたりする。担任教師との信頼関係が壊れていると、親は苦情を担任に直接言えないので、なおのこと管理職に訴えてくることになる。

 

二 学校は勉強する場ですよね

年度末にある母親から匿名で手紙が来た。その手紙には次のようなことが書いてあった。

三学期。我が子の漢字ドリルと計算ドリルを見てびっくりする。真っ白なページがたくさん残っている。これは自分の学年だけが何らかの理由でやり残しているのだろうかと考え、隣の学級の母親に聞いてみる。すると、「もう、ほとんど終わっているよ」との返事。

これは大変だと不安に思っていると、学級通信に近々学級お楽しみ会をやるという連絡が載る。我が子に「この準備は、いつするの」と聞いてみると、「授業時間中にやるよ」との返事。つまり、授業をつぶして学級お楽しみ会のために準備をしているらしいということがわかる。学級行事の準備で授業時間がつぶれている。時間割とおりにやらず、その日になって時間割を変更しているのである。

授業も時間割とおりにやっていないのに、教科書の練習問題やスキル・ドリル類を平気で宿題にする。家庭にまかせっきり。

母親は、「これできちんと学力がついているのだろうか」と考え、今までのテストの点数を調べようとするが、ところどころテストが返却されていない。そればかりか、子どもの机の中にある点数が極端に悪い。

学校では、年に一度学力テストを実施している。その結果も、去年に比べて落ち込みが激しい。昨年まで一緒だった同じくらいの成績の子がいる。今年は隣の学級になっている。比べるのは悪いと思いながら、母親とは仲良しなのでそれとなく成績を聞いてみる。すると、隣の学級の子の成績は上がっている。

母親曰く、「学校とは勉強を教えてくれる場なのに、何故きちんと教えてくれないのですか。当たり前のことを当たり前にやってもらわないと親として心配です。でも、担任の先生には言えないのです。」

 

三 学校は組織として機能しているの

授業参観日が終わって、ある母親から手紙が来た。

公開したのは算数のグラフの授業。授業の導入で担任教師は、班で一枚のグラフを作成することを指示する。五、六名の子ども達がたった一枚のグラフを一時間かけて作成するというのが、その日の課題であった。

母親は、一時間子ども達がグラフを作成しているのをただ黙って参観する。当然、一時間も班で作業するわけだから、ある子はグラフの棒を色塗りするだけ。ある子は題名を書くだけ。ある子は、何もせずボーとしているだけ。そして、その授業の最後には、完成したグラフについて担任教師として批評することも、感想を述べることもなく、終わってしまったという。

母親は、授業参観日以外のことも不安に思っていることを手紙に書いてきた。

子どもがテストを持ち帰ってこない。テストをしても返してよこさない。テストを持ち帰ってきたとしても、点数が悪すぎる。間違えた部分をきちんとやり直しをさせていない。

子どものスキルを見ると、全然やっていない。白紙が多すぎる。学校からの要請で市販テストやスキル・ドリル類を親がお金を出して買ったのにも関わらず、ほとんど白紙状態。

ノート指導もいいかげん。乱雑な字。定規も使わず、線を引かせている。使うページも飛び飛び。学期中に数ページしかノートを使っていない。

そればかりか、子どもの話からすると教科書を全然使っていないようだ。教科書は、国民の税金で買ったものなのだから、当然使うべきもので、担任教師の勝手な考えでどうにでもなるものなのか。

それまで、溜まりに溜まっていた不満を一気に手紙に書いてきたという感じである。

母親曰く。「学校という場は、一体どうなっているのでしょうか。管理職の先生や年配の先生たちは気が付いていないのでしょうか。是非、指導してほしいのです。」

 

四 問題行動に適切に対応してよ

いわゆる「いじめ問題」が起きた。ある学級の母親が激昂して電話をかけてきた。「担任ではなく、教頭先生と話がしたい」という。その日、私は電話で母親の話を聞いた。次の日は直接母親に会って話を聞くことにした。

詳細な事情は省略するが、母親が怒っている理由の一つには「前々から、自分の子どもがいじめにあっていたのにもかかわらず、学校は解決させようとしていない。深刻になる前にきちんと対応してくれていれば、こんなことにはならなかった。」ということであった。

担任教師の初期対応のまずさ、そして学校としての対応のまずさは母親が指摘しているとおりであった。

親は、我が子が安心して登校できることを願っている。そのことに対して学校はきちんと対応してきたのか。

 

五 学校として当たり前のことをする

親たちの苦情の多くは、要するに当たり前のことを当たり前にしてほしいということだ。学校としての当たり前のこととは何か。学校は勉強するところなのだから、勉強をきちんと教えてほしい。教師は、教えることのプロなのだから、子どもの問題行動に対して適切に対応してほしい。

こうした学校としての当たり前のことが当たり前にできないで、何故連携ができるだろうか。学校は、学校としての当たり前のことをすることが連携への第一歩である。

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