【月別経営の重点】9月。生徒を理解することなしに教育は成立しない

【解説】令和2年5月20日記

表面的ではない子供の裏側の状況を知れば、教師の指導は変わる。

数多くの困難な状況の中で必死に生きている子がいる。

そうした子、誰一人として取り残すことなく接し、一人一人の可能性を切り開いていくことが教師の使命だ。

それはどんな時代になっても忘れてはならないことだ。

※初出 平成29年9月13日

不登校の子を育てた母親の手記

生徒指導の基本は生徒理解にある。

生徒理解とは、生徒個人だけでなく、生徒を取り巻く様々な環境等も理解することが含まれる。

これはある母親の手記である。

「抜けないトンネルはない・・・」

この言葉がいつも頭のかたすみにありました。

 

「おなかが痛いから今日は休む。」

「今日だけね。明日は、絶対行くんだよ。」

「わかってる。」

 

翌朝・・・

時間になっても起きてこない娘。

「起きないと間に合わないよ。」

「・・・・・・・・。」

「今日は行くって約束したよね。」

「・・・・・・・・。」

「また、約束破るの?」

「・・・・・・・・。」

「いいかげんにしなさい!!!」

激しく怒鳴って布団をはぎとる私。まるまってぴくりともしない娘。

 

こんなことを何度くり返しただろうか。

無理矢理起こそうとして蹴られることも・・・。娘を叩いたこともありました。やり取りに疲れ、起こすことも話すこともしなくなった時期もありました。

 

何が原因で学校に行けなくなったのか、行かなくなったのか・・・毎日のように考えました。小さい頃寂しい思いをさせたから? 甘やかしすぎ? 放任だった? いろいろなことが頭をよぎりました。機嫌のよい時に娘に「どうして」なのか尋ねても娘自身よくわかりませんでした。

中学生後半から学校に行けなくなったA子さん。

その理由を母親から何度問われても明確に言えなかった。

母は、その責任が自分の子育てにあるのではないかと自問自答する日々。

きっと毎日が針の筵に座らされているような苦しみの連続だったのだろう。

学校に行かせたい、しかし、どうにもならない。

不登校となったA子さんだって苦しみの中にあったに違いない。

そして、高校進学。

母は、これで「トンネルを抜けられる」と思う。

しかし、再び不登校となりトンネルに逆戻りだ。

A子さんは留年が決まると転校する。

もっと不登校に対して親身になってくれる高校を探し、そこに行くことにしたのである。

不登校に対して親身になってくれる、それでなんとかなる。

一時はホッとする。

しかし、トンネルはまたやってくるのである。

母は、手記に次のように書いている。

再び学校に向かわなくなる娘。無理矢理起こす私・・・。

精も根も尽き果て無力感だけが残る日々がまたやってきました。

出口の見えないトンネルは、とっても疲れます。

学校が何もしなかったのではない。

何度も、何度も、何度も教師と親子とで話し合ってきた。

それでも解決しなかったのである。

親子も教師も、もがきながら、苦しみながら卒業へとなんとかたどり着く。

不登校となって4年間の月日が流れていた。

母は、手記に次のように書いている。

いくつものトンネルをくぐり抜けてやっと「卒業」にたどりつくことができました。叩いたこともありました。

「出ていけ!」そう怒鳴ったこともありました。

この春、娘は私たちのもとを離れます。

 

また、いつトンネルに入るかわかりませんが「抜けないトンネルはありません」

今度は遠くからそっと寄り添ってあげたいと思います。

 

卒業おめでとう。

 

「親身になる」という言葉がある。

「親の身となって接する」ということだ。

私たち教師は、親身となって生徒に接しているだろうか。

親身とは、優しくすることだけではもちろんない。

親の気持ちに寄り添い、共感し、その結果として、時には厳しく、時には突き放すことも必要だ。

だけど、その底流には子供への愛がなければならない。

 

子の親となって 悪戦苦闘の連続

私が結婚する前、ある一人の教頭先生から言われたことがある。

「青さん、結婚し自分の子どもができ、子育てをしてみると教育の奥深さがわかるよ」

「そうなんですか」

そのように答えつつ、心の中で私は「そんなことはない!子供ができようができまいが関係ない」と思ってきた。

基本的にその考えは私の中で変わっていないが、教頭先生からのこの一言は、教育のある側面を指し示しているということを実感するのである。

私は、私の娘を中学時代から遠くの中高一貫校にやった。

管理職となり、2年か3年で転勤すると、娘も転校させることになり、友達関係で苦しい思いをさせることになるからである。

「生き生きと勉強し、学校生活を送る娘の姿」を夢見ていた。

しかし、苦しい日々だった。

「学校をやめたい」と電話越しに何度相談してきただろうか。

そのたびに、説得した。

時には、夜中に車を走らせたこともある。

それは大学に入ってからも同じだった。

最初の2年間は何事もなかったが、後半の2年間、娘の「大学を辞めたい」と声をあげて泣く顔を見ながら、私も泣いた。

話しても娘の決意は固かった。

最後に私は、話ではどうしようもないと思い、手紙を書いた。

娘の決意を変えたのは、私から私の思いを書いたその手紙だった。

 

どんな家庭だって、絵にかいたような素晴らしい生活を送っているわけじゃない。

毎日、家族みんなが幸せで悩みのない生活を送っているわけじゃない。

教師側からすると「もっと子育てしっかりしてよ」と思うことだってある。

しかし、子育ての仕方も愛情の注ぎ方も知らない親だっている。

毎日の生活に追われ、子育ても満足にできない家庭もある。

子育てより、親の介護をしなければならない時もある。

みんな、他人と接する時には笑顔で接するが、心の中ではたくさんの悩みを抱えていることだってある。

私たちには、想像できないような厳しい家庭もあるのだ。

そうしたことが実感として私の心に迫ってくる。

家庭の問題とは一筋縄ではいかない。

唯一の正解というものはない。

家庭は、様々な問題を抱えている。

そのさまざまな問題を抱え、生徒は登校してくる。

さまざまな問題を抱えた生徒が多数いる中で、個々の生徒を理解し、私たち教師は実践している。

実践しなければならない。

そのことをおぼろげながらでも実感できると、自分の教育実践の在り方も変わってくる。

変わらなくても、生徒理解を通して子供との向き合い方に変化が起きる。

きっと教頭先生の「青さん、結婚し自分の子どもができ、子育てをしてみると教育の奥深さがわかるよ」という言葉は、こういうことを意味していたのだろうと思う。

もちろん、子育てを体験していない教師であっても、生徒理解を根本において生徒に接するならば素晴らしい実践はできるだろうと思う。

 

自己指導能力を目指した生徒指導・教科指導の大切さ

私は年度始めに以下の図を示して「心のピラミッド」を大切にしようということを学校の重点の一つにした。

見た目はきれいだが、やはり一番大切なのは日々の実践である。

是非生徒指導部・学年の取組とリンクさせながら実践を積み上げていってほしいと思う。

また、授業の中でも生徒指導の3機能を働かせるようにしてほしいと思う。

特に「共感的人間関係」と「自己存在感」を大切にしてほしい。

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