【校長会誌】校長の「立ち位置」とは

【解説】平成31年4月4日記

東日本大震災は、校長としてのあり方にも大きな衝撃を与えた。校長になったら、教頭時代よりもっと自由に出歩こうかなと思ったりしたが、なかなか自由に出歩くことはなかった。学校には行かないが、休日もできるだけ校長住宅にいて、何か起きたらすぐに対応できるようにしていた。力のない校長としては、少なくてもその程度のことはしようと思ったのである。

※初出 平成23年 校長会誌

職員会議で避難訓練の提案があった。3月11日の東日本大震災をうけて、避難訓練の話し合いも今までとは違う雰囲気になった。今までは、どこか遠い世界のような感じであったが、今回は「現実に東日本大震災のようなことが起きた時、本当にそれで対応できるのか」という意識が全職員にはあった。

私は、職員の話し合いを聞きながら、今までの避難訓練の改善すべき点を考えていた。予告していた「地震発生(火災発生)」の警報を鳴らす前に、校長は赤旗を持って避難場所に立つ。警報が鳴り、子ども達が校長が持つ赤旗の場所に集合してくる。校長は、避難してくる子ども達の様子を観察し、その後の「校長講話」で災害時における避難時の諸注意を中心として話をする。今までの避難訓練のパターンは、大体このようなものであった。

しかし、これで現実に対応できるものなのだろうか。校長は、大規模災害が起きた時、真っ先に赤旗を持って避難場所に行くものなのだろうか。船が沈みゆくとき、船長は全ての船員を脱出させた後、最後に自らが避難する。それが船長のリーダーシップであり、責任観念である。

もし、その論理と同じであれば、校長は大規模災害があった時、全ての子どもと全ての教職員を学校から安全な場所に避難させた後、最後に学校を離れるものではないのか。校長こそ、学校の中で指示を出し、教職員にその時における適切な役割を与え、最善の行動をさせ、混乱を少しでも小さくし、全ての子どもの安全確保を優先すべきなのではないか。とすれば、校長には大規模災害があった時、自らが最前線に立つ勇気と、どんな状況下にあっても冷静沈着に判断し、指示命令をブレなく素早く出せる胆力が必要となる。

子どもが自ら自分の命を守るという教育はとても大切である。その意味において、今までの避難訓練のあり方を見直すこと。それとともに避難訓練においては適切な判断を瞬時に下せるという能力を、教職員とりわけ校長は鍛えておくことが必要となる。今の時代は校長にリーダーシップを求めている。とりわけ危機管理の場面では要求される。大規模災害発生という危機管理場面において、校長としてのリーダーシップを発揮するためには、日頃から校長としての職の重さを自覚し、どのように行動すべきなのかを考えておかなければならない。そして、考えておくばかりでなく、実際に行動できるのかを訓練すること、それが私の今の課題でもある。

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