【月別経営の重点】6月「子どもを見よ。事実を見よ」

【解説】令和元年5月29日記

悲しい事件が起きました。こうした時、多くのメディアは事件や犯罪者のことをセンセーショナルに扱うことが多いものです。いつの時代にあっても、犯罪を0にすることはできないものです。しかし、犯罪を0にしていく努力をしなければなりません。できるだけ0にするためにはどうしたらよいのか。それは犯罪に至った原因を丹念に探り、それを一つの教訓として次に生かしていくことです。昔、航空機事故はよく起きていました。しかし、現在、航空機事故はとても減りました。それは、航空機事故という「失敗」から多くを学び、改善し、未然に防ぐ努力を絶えずしているからです。教育の場でも多くの「失敗」が起きます。その「失敗」から、教師も子どもも何を学び、どう生かしていくのか、それがとても大切な教育になるのです。

※初出 平成29年 月別経営重点から

※前回、次のことを書きました。

◆6月のメインは、中体連への取組が重要ですね。放課後、部活動の生徒たちのカバンの置き方を見て、すばらしいなと思いました。やはり部活動は、中学生にとって、大変大切なものであり、生き方を学ぶ上でも有意義なものですので、何気ないところにその部の力が垣間見えるものです。その意味からも先生方がきちんと指導されていることを感じることができます。

◆生徒会長さんに「最近、みんなの挨拶どうですか」と聞きました。すると笑顔で「全然さわやかでないです。挨拶しても挨拶してくれない人が多いです。全校集会で言おうと思っています」とのことでした。いいなと思うと同時に、生徒会役員たちの取組を後押ししてあげたいなと思います。

先日の全校集会。生徒会執行部で挨拶に関する役割演技を行いました。大変新鮮で、効果的であったと思います。こうした生徒たちの活動を認めてあげたいと思います。

前回、行事後の荒れを防ぎ学級を前向きにしていくための二つの対策として次のことを指摘しました。

一 集団の中に人を馬鹿にしたり、冷やかしたりすることがないこと

二 日常を大切にするということ【あいさつ・安全・後始末(整理整頓)】

さて、この一か月どうだったでしょうか。学級の中で、上記二点について不備不足があれば、根気強く指導をお願いいたします。

 

1 非行少年の訴え

大学時代、少年院に2日程行ったことがある。友人の卒論の手伝いである。友人の卒論は、何故少年院に入ることになってしまったのかを面談を通してまとめるというものであった。卒論をまとめる段階で、友人が話してくれたことがある。

 

「青坂、面談した少年たちのほとんどが学校のことを悪く言う。教師に責任があるということを訴える。センコーから一度も褒められたことなんてねぇよ。俺、頭悪いから勉強なんてほとんどわからないし。センコーも相手になんてしてくれなかった。というようなことを言うんだよね」

 

そんな話をしてくれた。私にはショックだった。学校についても、教師について学生時代の私自身もそれほどよくは思っていなかったが、非行少年たちが言うほど、唾棄すべきようなほどではなかった。非行少年のほとんどが家庭環境も悪い。家庭環境、特に親の責任を言うのなら理解できた。しかし、そうではなかった。あくまで非行に走ったのは、学校・教師が責任があるというのである。私は友人に聞いた。

「(非行)少年たちは親のことをどう思っているの?」

「親のことを悪く言う少年は一人もいなかった」

それまた衝撃であった。親から見放され、見捨てられた子もいる。今で言う虐待同然の扱いを受けている子もいる。片親のいない子もたくさんいる。家庭が貧困であえでいる子もいる。それでも、親のことは悪く言わないのである。逆に、学校・教師からどれほどひどい扱いを受けてきたかを延々と語るのである。

この少年院を訪問した友人から聞いた話。これは大学生であった私にとって、今でも生々しく記憶に残っている衝撃的なことであった。客観的に見れば、家庭環境の劣悪さが非行少年を生み出す一因となっていたのだろうと思う。しかし、非行少年たちは親に責任があると感じていない。それは他からどんなに見捨てられようと「最後の砦」が親だからなのだろうと思う。例えば、夫婦関係でも同じことだ。妻が両親のことで不満を持ち、愚痴を言い、夫に同意を求めてきたとしても、夫は妻の両親をことを決して悪く言ってはいけない。妻の両親のことを悪く言えば、必ず妻は怒り出す。それと同じなのだ。自分の存在は、両親がいるから成立している。妻が両親に対して不満を言っていたとしても、その両親を否定するようなことがあれば全力で自分の両親を守ろうとするのである。仮に夫だとしてもである。

 

2 学生時代の恩師からの教え

私の大学時代の恩師は、非行心理学・犯罪心理学では有名な方だった。その先生から教えていただいたことに

「子どもを見よ。事実を見よ。」

というのがある。犯罪を犯した人間について語るとき、一般的に解釈したり、分析したりするのではなく、その「人間」「犯罪」を様々な観点から見て「なぜ犯罪にいたったのか」の推論を立てていくのである。この考え方は私の実践の根本となっている。

私が大学を卒業して37年経った。その間に非行心理学も犯罪心理学も様々な観点から発展してきた。例えば、当時「発達障害」に対する考え方も対処法もなかった。だから敵に対して闇夜で刀を振っているようなものだった。もし、当時から教育の世界に発達障害という概念があったのなら、救える子たちもいたのではないかと思う。少年院に送らなくてもいいケースがたくさんあったのではないかと思うのである。

 

3 二次障害を防ぐこと

ほとんどの人間には必ず「ゆがみ」がある。発達の凸凹といってもよい。個性といってもよい。非行・犯罪に関わって、発達障害で問題視されるのは、そうした「ゆがみ」とか「凸凹」ではない。社会への不適応である。社会への不適応は先天的なものではなく、環境や対人関係等の不適切さから後天的に現出する。逆説的に言えば、環境や対人関係など、適切にしていれば社会の不適応は生まれないということになる。

社会への不適応は2つある。一つは、自傷行為・不登校・引きこもりなど自分自身の内に向かうケース。もう一つは、反抗的・挑戦的・暴力的言動等、自分の外に攻撃的になっていくケースである。どちらのケースにしても、周囲の人間を困らせることになる。これが発達障害の二次障害と言われているものである。二次障害の定義は次のようになる。

発達障害に起因する挫折や失敗、それによる周囲からの叱責等の繰り返しにより、子供の感情や行動にゆがみが生じ、周囲を困らせる行動の発現。

 

本校にも発達障害を抱えている生徒、いわゆるグレーゾーンの生徒も多くいるのではないかと思われる。これは本校だけでなく、日本全国どこの学校でも抱えている大きな課題である。しかし、考えてほしい。発達障害があることが問題なのではない。周囲を困らせる行動が発現し、指導の困難さが顕著に表れてきたら学校の危機なのである。つまり二次障害にならないように予防すること、二次障害だと思われたら適切な対応を周囲がすることである。しかし、これが難しい。いったん、二次障害になるとその対応は極めて難しくなることを覚悟しなければならない。

 

3 NHKスペシャル「感覚過敏」

先日のNHKスペシャルで発達障害が特集された。職員室内で話題になったこともあるので、視聴した方も多いだろう。私が印象に残ったのは「感覚過敏」。視覚・聴覚・臭覚・皮膚感覚等の刺激が直接的に伝わり、不安やイライラ感などを惹き起こし、落ち着きのなさや暴力的な言動を起こしてしまうものである。

この感覚過敏は勉強ができるかできないかとは関係ない。どこの学校においても、この感覚過敏の生徒は複数名いると考えた方がよい。例えば、本校なら発達障害の出現率で言ったら約10名前後はいるのではないかと思われる。そして、それ以外にも感覚過敏の生徒はいるかもしれない。それらの生徒にとって、「音(大きな声・奇声・雑音・私語・時計の音・他の教室のざわめき等)」「光(照明・太陽の光・ネオンサイン等)」「派手なモノ(掲示物・他人の服装・装飾品等)」「臭気(体臭・給食の匂い・牧草地の匂い・香水)」「皮膚感覚(衣類・腕時計・帽子・マフラー)等、大人や通常の感覚の持ち主では気にならないことでも、異常に気にする生徒がいるかもしれない。そして、日々、家庭生活や学校生活にストレスを感じていることもあるかもしれないのである。こうした刺激を低減させておくことが余分なストレスを減じ、落ち着いた生活の基盤となり、二次障害を防ぐ要因となるものである。なぜなら、感覚過敏は基本的には治らないからである。そのために感覚過敏の生徒に我慢を強いたり、感覚過敏を直そうとしても現状ではほとんど難しい。無理に我慢を強いしたり、「生徒のためにならない」といって叱責が繰り返されたりすると、生徒によっては、キレることもある。一度キレてしまうと修復するまでに相当の時間を要することとなる。また、本人だけでなく、周りを巻き込み学級・学校が壊れていく最悪のケースもある。

感覚過敏を治すことは、きちんとした医師の下での治療だったら可能かもしれない。学校側ができることは、可能な限り「刺激を減らす」ということである。いろいろな対処や環境調整(NHKスペシャルでもこの「環境調整」という言葉を使っていたと思う)でコントロールしていくものだ。やはり感覚過敏による生活への悪影響を最小限にするには、周囲にいる大人や友達たちによる理解と協力、支援が不可欠なのである。

 

4 本校教職員の献身的な働きの上に成り立っている

落ち着いた生活を全校的に保ちつつ、その中で教育の本質である「折れない心」「前向きに対処できる力」「優しい心」「おもいやり」「忍耐強さ」「継続する力」等を授業の中や学校生活全般で成長させていくのである。

今まで、本校は、これらのことにある程度成果を収めてきたと私は考えている。授業における落ち着いた学習態度、部活動における規律正しさ、生徒会活動・学校行事における能動性等多くの面で管内的にも全道的にも誇れるものである。これもひとえに教職員の日々の献身的な働きのお陰である。

※おまけ

◆道新でも一部記事になりましたが、国立青少年教育振興機構で興味深い調査がされました。それによると「体育祭や文化祭の実行委員」「部活動の部長や役員」「学校の運動系部活動で活動したこと」「委員会の委員」等の体験は、「へこたれない力」「意欲」「コミュニケーション力」「自己肯定感」等と深い関係があるという結果が出されました。また、親や先生、近所の人から「褒められた経験」が多かった人は、社会を生き抜く資質・能力が高いという結果が出ました。

◆本校の「三兎」「文武両道」、そして生徒指導部の自己実現を目指した「心のピラミッド」とつながるものがあります。夏季休業まで一か月。どうぞよろしくお願いします。

 

追記 「いじめ的言動」は決して許してはならない。「いじり」から「いじめ」に至ることもある。本人が嫌がったら、それはいじめ。ただし本人から「嫌」と言えないこともある。いじめられている側を徹底して守るという立場で、毅然とした対応が求められている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です