【学校便り】自分が燃焼できる学校行事を

※初出 平成25年7月22日 学校便り巻頭言

◆高校時代まで私は函館に住んでいました。高校時代の卒業アルバムの中に、私のお気に入りの写真があります。それは、高校最後、三年生の時の文化祭の写真です。

◆文化祭には、函館の市街地を練り歩く仮装行列というのがありました。その当時(昭和50年頃)、NHKで新八犬伝という人形劇が放映され、人気を博していました。伏姫(ふせひめ)ゆかりの8人の武士が、「われこそは玉梓(たまずさ)が怨霊」と不気味な声で言う怨霊らによってもたらされる困難・妨害を乗り越えて活躍するお話でした。

◆高校三年生であった私やクラスメイトは、話し合いをして、その新八犬伝を題材にして山車を作ろうということになりました。「高校最後の文化祭なのだから、派手なものにしよう」「優勝をねらおう」「そのためには、巨大な山車にしよう」等と意見が出て、クラスメイトは山車を作る前から盛り上がっていました。それこそ、みんなの頭の中には、仮装行列で優勝し、みんなで喜び合っている姿をイメージしていました。

◆作業は、体育館で全校24学級が集まり、夜遅くまで山車作りに精を出します。もちろん、文化祭は仮装行列だけではありませんから、みんなが手分けして、さまざまな仕事も同時並行して行っていました。文化祭までの2週間、特に1週間前からは、高校は夜遅くまで電気が点き、不夜城と化していました。

◆私たちのクラスは、優勝を目指し、巨大で派手な山車を作るために、新八犬伝の「犬の八房(やつふさ)」を制作し、その犬の山車の上に伏姫役の女生徒を乗せて、街中を練り歩こうと考えました。

◆しかし、それはうまくできませんでした。一人の人間が、山車の上に乗るというのは、相当丈夫な構造にしなければなりませんでしたから、高校生が一から作るものとしては無理がありました。

◆また、四本の脚に車、つまりキャスターをつけて、動けるようにしなければなりません。何人かでキャスターを購入しに行くと、山車の大きさに耐えられるような大きさのキャスターは高価です。そこで、高校生が買える値段のギリギリの大きさとなりました。それを購入してきて、山車の脚に付けました。山車の大きさに比較してキャスターの小さいこと。これで何キロも街の中を歩くのかと正直不安になりました。

◆そしてその不安は、ものの見事に的中しました。仮装行列当日、完成した山車を体育館から出す段階で、キャスターがとれ、脚が折れました。仲間はみんな顔面蒼白です。「しょうがねー。みんなで肩に担いで行進するぞ」その声で男子10人ぐらいで肩に担ぎました。しかし、巨大にしよう、派手にしようと考えて制作してきた山車です。その重さといったら、並大抵のものではありません。私たちは必死になって担ぎました。その行進の途中、耐えられなくなると道路に下ろしたり、余分なところは少しでも無くして軽くしたりしました。沿道から私たちの山車を見ている人たちにとっては、きっと「なんじゃあれ!何を作ったんだ」という感じだったと思います。

◆そして、仮装行列を終えて学校に戻ってきたとき、その私たちが一生懸命に作った山車は、ただの「巨大なゴミの塊」のようでした。その「巨大なゴミの塊」を必死になって担いでいる私とクラスメイト。その写真が卒業アルバムに載っているのです。何も知らない人たちからすると「もっとしっかりやれよ!」と思われるかもしれません。しかし、私たちにとっては青春の1ページを飾る最高で、素晴らしい思い出の写真なのです。

◆今、本校の生徒たちは2学期早々にある体育祭に取り組んでいます。体育祭が終われば、すぐに文化祭です。青春の入口に立っている生徒たちにとって、一番大切なこと。それは、いかに大切な仲間とともに自分を燃焼できる学校行事にできるのかということ。結果ではなく、取組の中で「青春の思い出」が作られていくのだと思います。

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