【教頭通信】集中させる手立てを持つ

【解説】平成30年8月21日記

子どもをやみくもに厳しく叱る指導は、今の時代では通用しません。どんなに子どものことを思っていたとしても、「厳しく」指導するというのは誤解が生じる原因となります。また、子どもの育ちにとってもいいことはありません。

教師には教師としての技・スキルをきちんと身に付け、子どもたちの前に立つ必要があります。今の大学ではどうなっているのかわかりませんが、私が大学に通っていたころ、そうしたことを教わった記憶はありません。教えてもらわなかったのだと思います。私が子どもたちを集中させる手立てを学んだのは、学生ボランティアとして野外活動の指導に入った時のことでした。その時の学びが土台となって、今回紹介する指導に生かされています。

※初出 平成15年 教頭通信

始業式の最初の場面から

★子供たちの前に立つのは、緊張します。たかが始業式の司会でも緊張します。

★まず、子供たちの前のどこに立つのか。今回の始業式のときは、私は子どもたちの右前に立ちました。これは何気なくそこに立ったのではなく、意識的にそこに立ったのです。

★全校の子供たちの指導を意識したのは、入学式のときです。正直言って大変うるさかったです。「こんなのでいいのか」とも思いました。これは担任だけの責任なのか。違います。校長先生も教頭である私も含めて全職員の責任です。今後、司会として教頭である私が子供たちの前に立つことは多い。だとしたら、司会者としての私の責任は大きいものがあります。司会者としての戦略を練らなければなりません。そんなことを入学式が終わったとき、考えていました。「全校児童が集まるとうるさい。前に立った人の話を黙って聞くことができない」この現実からスタートし、少しでもよくすることです。それが目標となりました。

★一番最初、私がしたことは、話の内容を吟味してみることでした。校長先生が出張されたときのことです。私が校長先生の代わりに話をすることになりました。私は全校朝会での話の内容を吟味して臨んでみました。私は「天国と地獄」の話をしました。結果は、もう一つでした。原因ははっきりしています。「場慣れ」していないということです。話をしながら、途中で何を話しているのか、わからなくなってくるのです。しどろもどろです。そこで私は思いました。話の内容を考えることは絶対に大切なことですが、それ以外にも子供たちに話を聞いてもらうには手立てがあるのではないか、ということです。つまり、普段、教頭である私は全校児童の前に立つときは、司会者が多いわけですから、「司会者として何ができるのか」ということを考えるべきだということです。

★集団下校訓練のとき、再び子供たちの前に私は立ちました。体育館に子供たちは集合しています。案の定、子供たちはうるさいです。私は、マイクを持って意図的にステージの下、中央に立ちました。そして、全体を見渡しました。何人かの子どもが私に注目しました。しかし、ほとんどの子はうるさいままです。そして、いったんさがります。再び私は子供たちの前、すなわちステージ下の中央に立ちました。一回目より静かになりました。私は、学年ごとに評定を加えていきました。このように評定を加えた指導を短時間に行いました。

★そして子供たちに言います。「誰かが、みんなの前に立ったら、今のように口を閉じて静かにするのです」「それでは、そのことをやってみます。うるさくしてください」と言って中央の立ち位置から下がり、すぐに出てきて中央に立ちました。子供たちは、私が中央に立つと一斉に静かになりました。そこで私は再び学年ごとに評定、このときはほめることを中心に指導しました。要するに私は「誰かがみんなの前に立ったら口を閉じて静かにする」という約束、つまりルールを作ったのです。しかし、この一回だけで指導が終わったら、約束・ルールは簡単に破られてしまうことになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です