【教頭通信】「指導の充実」をいかに図るか②

【解説】令和4年11月13日記

これからの時代であっても、やはり「教師の指導」というのはとても大切なものだと私は考えています。

「指導」という言葉をどのようにとらえているのかはきっと人さまざまでしょう。

もしかしたら、中には「教師の都合の良いように型にはめていくことが指導なのだ」というようにあまりにも偏った考えを持たれているかもしれません。

そうではなく、子供のよりよい成長にとって、何が不足し、何を教え伝えていったらいいのか、そして身に付けさせたらいいのかを教師という立場で愛情深く、冷静にしかも確かなスキルで行うこと、それが「教師の指導」ということになるのでしょうか。

※初出 平成14年6月19日

■次のような発言(発表)を理想とすると前号で書きました。

「校長先生のセキレイが学校の下に巣を作っているという話を聞いて、私は自分の家でも同じことがあったことを思い出しました。そのセキレイは、雛を育てるのに一生懸命でした。毎日親のセキレイは餌をやっているようでした。私はその姿を見て、セキレイも一生懸命生きているのだなと思いました。これからは、人間と同じように生き物も大切にしたいと思います。」

この発言を読んで、この発言のポイントをわかる方は、なかなか力のある方です。また、この発言から指導のポイントが見えてくる方はよほど力のある方です。「発言のポイント」と「指導のポイント」を少し考えてみてください。

 

■まず子どもの発言の第1のポイントは、「校長先生のセキレイが学校の下に巣を作っているという話」というところにあります。大方の先生は、「なんでそんなのがポイントなの」と不思議に思うかもしれません。中には、「そんなのちょっと指導すればすぐに出来るようになるよ」と思われる方もいるかもしれませんね。しかし、これはとっても大事なポイントですし、指導したからと言ってすぐにできるようになるものではありません。

 

■読書感想文指導というのがあります。読書させた後に感想文を書かせるというものです。読書感想文、おわかりですよね。さて、それをどのように書かせるのかというとこれはなかなか難しいのです。読書感想文指導で一番最初に来るのは、感想を書かせることではありません。あらすじ、すなわち要約を書くということです。要約する力が最初に要求されるのです。この力のことを「要約力」と呼ぶことにしましょう。この要約力は国語の授業だけでなく、あらゆる場面で必要とされます。本を読んでも、人の話を聞いても「この本は何を言っているのだろう」とか「この人はどんな話をしているのだろう」と言うときには、頭の中で要約をしているわけです。長い話でも一言で言える、それが必要になるのです。

 

■さて、要約力と言うのは、短くまとめるというだけの力を指すわけではありません。話の中のキーポイントを的確に指摘する力も必要になります。また、自分にとってのキーポイントを指摘できることも大切です。話の中でのキーポイントと自分にとってのキーポイントは違います。話の中でのキーポイントは、客観性が要求されますが、自分にとってのキーポイントは自分の好み、すなわち主観的なもので構わないことになります。「この物語では、この文章が主題をあらわしている」というのが、話の中のキーポイント。「この物語の中で、この部分が一番面白かった。自分の好みだ」というのが自分にとってのキーポイントということになります。読書感想文では、要約した後が本当の勝負になります。(要約が出来なければ話にもなりません)つまり、要約して本文の大事なポイントや自分と関わりのあることを指摘し、自分の感想を書き込んでいくということになります。

 

■ここまで説明して、子どもの発言の第1のポイントについて戻ってみましょう。「校長先生のセキレイが学校の下に巣を作っているという話」というのは、校長先生の10分程度の話から、ある1部分を選択しています。選択の基準は、本論の大事な部分か自分にとって大事な部分です。どこでもいいというわけにはいきません。もし、それが枝葉のどうでもいいようなところを選択したとしたら、「ピント外れの感想」ということになってしまいます。また、セキレイの話でも、それなりの長さはあります。それを一言でズバリと表現しなければなりません。それこそ要約力が必要なのです。すなわち要約力がなければ、「校長先生のセキレイが学校の下に巣を作っているという話」というようにまとめることは出来ないわけです。もちろん要約力だけがあれば、すぐにそのような発言が出来るかと言うとそういうわけでもありません。そのように発言していいという判断が働かなければならないのです。

 

■また第1のポイントで言えば、要約力が必要なだけでなく、具体的事実に即して物事を話せると言うことも必要です。ところが管理職である教頭先生でもなかなか出来ません。全道教頭研究大会では、初日に講師をお呼びして講演会が持たれます。その講演が終わると講師に対して謝辞を教頭会の役員が述べます。この謝辞がひどいときがあるのです。講師が話した内容と全く無関係なことで謝辞を述べることがあるのです。謝辞を述べるために前もって準備をしたためにそうなったのでしょうね。ひどいのになると講師に対する謝辞ではなくて、自分の自慢話や自分の知識をひけらかす方もいます。あくまでも謝辞と言うのは、講演内容に即して行われるべきものです。そうでなければ、講師に対して大変失礼です。本校の全校朝会であれば、あくまで話をしてくださった先生の内容に即して、感想を述べることになるわけです。ですから、話の内容を要約した形で感想を述べれると言うのは大変立派なこととなるわけです。

 

■以上第1のポイントについて解説してみました。要約力と事実に即して述べれるということです。さて、これらを身につけさせるためには全校朝会だけでできるでしょうか。それは無理ですね。やはり日々の授業が大切ということになります。

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