【校長通信】「その先生」から学ぶこと その1
【解説】令和6年4月8日記
『致知』という雑誌があります。
「人間を学ぶ月刊雑誌」が謳い文句になっています。
教員が読んでも、人の生き方を学ぶ雑誌として大変勉強になるものです。
その記事の中に一人の先生のことについて書かれたものがありました。
その記事に感銘を受け、職員に紹介した校長通信の続きです。
※初出 平成22年9月8日
◆前号で、『致知』という雑誌の北海道新聞広告欄に掲載された先生のことについて紹介しました。教育者としての、「その先生」の姿勢に心を打たれました。私は、こうした文章を読むと、「その先生」の指導の秘密について知りたくなります。その指導の秘密を推測することで、自分にも参考となることはないかと考えるわけです。さて、ここで紹介された「その先生」の指導の秘密とは一体何であったでしょうか。文章から読み取れることだけで推測してみます。
◆文章の冒頭は次のように始まります。
その先生が5年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪い所ばかり記入するようになっていた。 |
教師も人間です。相性のいい悪いは、どうしてもあります。「一生懸命指導しているのに、どうしてもうまくいかない。どうも好きになれない」といったことは、全ての教師が実感としてもったことがあるのではないでしょうか。「その先生」も同じでした。「どうしても好きになれない」と書いています。その結果、その少年の悪さばかりが目につきます。そして、悪い点ばかりを記入するようになってしまったのです。この段階で、子どもの見方を変え、子どものよさに目を向け、記録していったらどうだったでしょうか。時には、そのようにすることで子どもへの接し方は変わることもあるでしょう。しかし、それは本物ではないのです。心の底では「やっぱり好きにはなれない」と思いつつ、人前では「あの子には、こんないい所がある」と言っているのと同じだからです。いわゆる本音と建前を使い分けているのですから、どこかで子どもには見破られてしまうという結果になることもあるのです。口先だけの教師。子どもの心には届かない指導。本物の教師にはなれないのです。
◆「その先生」は、偶然だったのか、それとも意図的だったのかわかりませんが、その少年の1年生からの記録を見ることになります。そして、「不潔でだらしない」理由を知ることになるのです。次のように書いています。
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現われてきたのだ。 先生にとって目を開かれた瞬間であった。 |
「その先生」の、この感覚。それは、子どものそれまでの生き方を知ることで得た感覚なのです。「その先生」は、その子の生きてきた足跡をたどりながら、その子の人生を共有し、深い悲しみに思い至っていくのです。「児童理解」「子ども理解」から得られた感覚なのだと言ってしまえばそれだけのことです。私達教師は、ともすれば児童理解は大切なのだと簡単に言ってしまいがちです。しかし、真に子どもを理解するとは、そんな簡単なことではありません。言葉には表わせない、子ども自身の抱えている思いや嘆きや悲しみを知り、そこに共感する、共鳴する、それが必要なのです。そして、そこから次の指導の手が見えてくるのです。ここに書かれてあることは、児童理解の本質的な部分を教えてくれています。