【雑感】教師の役割はどうなっていくのだろう?
コンピューターは、子供がどんなに間違っても、何回間違っても、その度に何回も丁寧に説明してくれます。
しかも、感情的になって決して怒り出すことはありません。
「お前は馬鹿だ」「お前は頭が悪い」といった批判や非難もしてくることはありません。
それは、生身の人間である教師よりずっと教育的です。
生身の人間である教師は、子供が間違うと、時には怒り出すこともあります。
感情をあらわにして、つい怒鳴ってしまうこともあります。
子供のできないことをできるようにさせようとして、つい感情的になってしまうことがあります。
それは、特に技量が低く、感情を上手くコントロールできない若いときに多いものです。
感情的になることは、極力避けなければなりません。
しかし、ふと思うのです。
本当にそれが教育的なことなのであろうかと。
生身の人間だからこそ教師は、時に感情的になり、怒ることもあるのではないか。
もし、教師が感情的になって怒ることをしないことが絶対的に善だとしたら、それは間違いなくコンピューターが子供にを教えれば済むことです。
これからの時代において、教師の役割は伴走者だとかファシリテーターだとか言います。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか。
教育とは何なのか。
教育とICTは、どのような関係であったらいいのか。
私の心の中にストンと落ちる答えを見つける作業は続きそうです。