【自己研修通信】~向山洋一氏の教師の子どもの接し方の胆~
【解説】平成30年10月22日記
今読み返してみると、舌足らずの文章になっていました。私が言いたかったことは、子どもと接するときの「感情の問題」、教師は自分自身の「感情」と向き合い、どんな子でも、いかなる境遇の子でも受け入れるという覚悟を持つこと。その大切さを向山先生の文章から読み取ってほしいということです。一人一人を限りなく大切にすることは、教師自身の「心の革命」があってはじめて成立するのです。
※初出 『新・精進』 第21号 平成30年10月6日
◆向山洋一先生の書籍の中に私が好きな情景と好きな文章がある。(向山先生のはすべて好きなのですが) 『学級経営の急所』(明治図書)の中に出てくる。
ーーー【以下引用】ーーー
藤野学級を休み時間に通ると、教卓のところに子供たちが何人も群がっていた。
笑い声がいつも起きていた。
群がってくる子供達はいつも決まっていた。
それはクラスで一番勉強ができない子、みんなに嫌われている子だった。
藤野先生の膝の上にいるのは決まってできない子であり、嫌われている子であり、汚い子だった。
勉強のできる子、綺麗な子を膝に乗せていることはなかった。
ある日私が声をかけた時である
「藤野先生は、いつも子供がいっぱいいますね」
初めて藤野先生は、所信を語った。
「洋さん。勉強できる子や人気のある子は、これから先の人生で、いつだって脚光を浴びたり、人から大切にされたりするんだ。だけど、クラスで最下位のような子は、今大切にしてやらなければ再び大切にされることはないのかもしれないんだ。今大切にしてやって人生のバランスが取れているんだ」
それ以来、私の心の中に明確な判断基準が加わった。
教師として子供を大切にしているかどうか。 |
この問いに対する答えである。
このように問われれば、教師は「大切にしている」と答えるだろう。
この原稿を読んでいる方々も、「うん、大切にしている」と思われているだろう。
それは、それとして正しいのかもしれない。
が、私の判断基準は違う。
私は、この判断を「その教師がどんなことを言ったか」「どんな授業をしたか」というようことで下さない。
たったひとつの基準である。
クラスで最も勉強のできない、人に嫌われている子が教師の膝の上にのったことがあるか。そのようなことが日常的に生まれているか。 |
私の基準はこれひとつである。
クラスで最も嫌われている子が、膝の上にくるような教師なら「子供を大切にしている」と判断する。
ひいきをする教師には、このようなことは生まれない。
口先だけうまいことを言う教師でも駄目だ。子供は敏感なのである。
内心「嫌だ」と思ってることは、相手にも伝わるのである。これは子供に限らない。内心「嫌だ」と思っていることは相手にも伝わる。「鏡の原理」が働くのである。
「最も嫌われている子が膝の上に乗る」ことは簡単ではない。
どうしても通過しなければならない心の革命を必要とする。
それは次のことである。
いかなる状態のいかなる考えの子も、すべて暖かく包み込める。 |
教師は人を教えて育てるという恐ろしい営為を仕事にしている。
人を「教え」たり、人を「助け」たりする仕事の人が、絶対必要な心構えがある。
それは「教え」たり「助け」たりする人を 丸ごと受け入れるということである。
包み込めるということであり、暖かく接することができるということである。
「僕、先生なんか大嫌いだ」と憎らしく言う子をも、なお受け入れ包み込まなければならない。
これが教師という仕事の宿命なのである。
子供達に全てを受け入れ、包み込み、そしてさらに「子供の可能性を伸ばそうという努力」が重なった時、子供は別の表情を見せる。
ーーー【以上引用】ーーー
◆前号で紹介した学習指導要領が求める教師の子どもへの接し方。それと似ていることがわかる。「人間的なふれあい」「暖かな態度」「受容的な態度」、それを具体的なものとして私の目に浮かんでくる。それが向山先生の書いた文章である。今、読み返してみると新たなことに気が付く。
以前だったら、「なにをそんなに大げさな」等と思っていた言葉が、実に奥深い人間的な洞察に満ちていたことに気が付くのである。
◆それは次の言葉である。
どうしても通過しなければならない心の革命を必要とする。 |
特に「心の革命」とは何か。そんなに大げさな言葉を使用しなければならないことなのか。どうして向山先生は「心の革命」という言葉を使ったのか。
◆今ならわかる。私たち人間は、何千年もの時間の中で進化してきた。私たちの祖先は、森の中で過ごしてきたとき、多くの外敵がいた。生物界の中で、弱いもの、それが人間であった。その中で生き延びていくために何が必要なのか。その最初は危険を察知したら「逃げる」ということであった。頭の中で考えていたのでは間に合わない。今いる動物たちの多くも危険を察知したら「逃げる」ということをする。人間からしたら「何も逃げなくていいでしょ。こちらは何も危害を加えようとしていないよ」と思っていたところで、さっと「逃げる」
それと同じである。人間の祖先も、危険を察知したら考えることもしないでさっさと「逃げる」という行為をしていたのである。脳で言えば、脳幹である。基本的な生存を司る部位である。脳幹は他の部位からの指令がなくても機能する。そうやって外敵から身を守ってきたのである。
◆その脳幹で大切な機能の一つが「感情」である。正確に言えば何事かに接した時に生じる「体の中を流れるエネルギー」と言った方がいいかもしれない。だから次のことが言える。「判断の基準となっているのは感情である」「感情は知に優先する」ということである。
◆教師の多くは優等生であった。家庭的にも恵まれた人が多い。ところが、学級の中には自分が予想していないような劣悪な環境で育った子たちがたくさんいる。そうした子の存在を教師にはイメージがつかない。教師の感情が「毛嫌い」するのである。だからこそ「心の革命」を必要とするのである。