【自己研修通信】~学級経営を充実させていくポイント~

※初出 『新・精進』 第2号 平成29年9月15日

私は、中標津東小の教務主任時代『ハルニレの見える窓から』という通信を書いていた。前号に引き続きそこから紹介したい。今回は、若手職員に向けて書いた「学級経営の充実を考える」というものである。

ここで書いていることは今でも通用すること、今でも大切にしてほしいことが書いてある。特に教室の環境面では、現在どの学校でも当たり前のこととして取り組んでいるが、以前はそうでもなかった。

私が書いて伝えたかったことは、形式ではない。形ではない。「靴箱の靴がきちんと揃っている」とか「掲示物がきちんと貼られている」とか、そうした表面的なことではない。教師の子供たちへの向かい方、そのことに一番のポイントがあったのである。

 

学級経営の充実を考える

■第一回目の参観日が終わった。

授業公開している最中、私は全部のクラスを教室の後から見て回った。

親たちと一緒に授業参観していると、妙な感覚にとらわれていた。

去年までとは違った感覚で授業をみていたのである。

例えば、そのことを比喩的に言うと次のようになる。

教室に一枚しか絵が飾っていないのか、それとも子どもたち全員の絵が飾っているのか、その違いを考えることに似ている。

一枚しか飾っていないとその一枚の絵の事だけを考える。

ところが、たくさん飾ってあると、一枚一枚の絵を考えるとき、知らず知らずに絵と絵を比較してしまう。

「隣より上手に描けている」「隣の絵より下手だ」というようにである。 一つ一つの絵には、必ず良さがあるはずなのに、そこには目が向かず、全体の中で一番良いのはどれかと言った感じで、悲しいかな、見てしまうのである。

全部の学級を参観していく中で、そんな感覚が私の中に沸き起こってきた。

担任を持っていたときには、そんな感覚はあまりなかったのだが、いつのまにか第三者的な見方になっているのである。

 

■しかし、私がここで言いたいことは、どこの学級が良くて、どこの学級が悪かったということではない。

確かに、それぞれの学級には長所も短所もあるだろう。

しかしそれ以上に、教室の後からみた印象として私が一番強く思ったことは、どの学級も落ち着いた雰囲気の中で授業が進んでいたということである。

ある学級は、笑い声で包まれていた。

ある学級は、真剣に問題に取り組んでいた。

そして、先生方も様々であった。

笑顔一杯の先生、真剣な表情の先生、体一杯を使って表現豊かに授業していた先生、それこそ様々である。

しかし、どの学級にも共通していたことがある。

それは、校長先生もPTA総会の中で言っていたことであるが、私も強くそう思った。

このことは、親からすると、きっと安心したと思う。

教師からしたら「落ち着いていたらどんな授業でも良いのか」と言われたら、もちろんそんなことはない。

しかし、親がまず望むことは、落ち着いた授業であり、わが子がいきいきと参加している授業である。

その上で、教師の様々な工夫を期待しているのだと思う。

その意味で今回の授業参観は成功だったのではないか。

参観日前日、遅くまで頑張られていた先生方の努力が実ったと思う。

ごくろうさまでした。

 

■学級経営とは、学級担任の教育活動すべてが対象である。

その中には、教室設営や子どもの問題行動への対処の仕方、そしてもちろん授業もその中に入って来る。

学級経営と授業は、違うものではない。

学級経営の一分野が授業ととらえた方が良い。

学級は、子供が生きている場であり、生きゆく場である。

 

■学級経営を充実させるとはどういうことであろうか。

体育館に行く廊下の天井に飾りがつり下がっている。

今年は、その飾りが廊下に落ちていることは少ないのだが、例年落ちていることが多かった。

自然に落ちてしまうこともあったのだが、子どもたちが飛びついて落すということがしばしばみられた。

何かがあると、子どもたちは飛びつきたくなる。これもまた自然な子どもの特性と言ったものである。

しかしながら、このことはやはり担任として指導しなければならない。

その時になんと言って指導するかである。

「飾りを落す人がいます。気をつけましょう」なのか、

「卒業生のために心を込めて作った飾りを落す人がいます。飾りを落すということは、作ってくれた人の心を落すことになります。気をつけましょう」なのか。どちらが子どもの心に届くのか、はっきりしているだろう。

学級経営の充実とは、何気無い日々の中にこそあるのである。

 

■授業時間中、1日に1回は、学校の中を歩く。

廊下を歩いていると、教室の中の様子が伝わって来る。

何となく、学級の中の様子がわかる。

何となくと書いたがそれ以上かもしれない。

時には、教室の中に入らなくても、教室の中の様子が手にとるようにわかるときがある。

大げさだと思われるかも知れないが、これは本当である。

この感覚を身につけたのは、別海中央小学校で研修部長をやっていた時からである。

20代後半から、1年間に何本もの授業を参観してきた。

研修部長として、たいしたことができないのなら、少なくても公開する授業はすべて見せていただこうと思った。

それが研修部長としての最低限の責任だと考えた。

中央小も東小と同じで、一人1本以上の授業公開を位置付けていたから年間にすると30本近くにはなったのではないかと思う。

だから、この10年間では、300本近くの授業は見て来たのではないかと思う。

その中で、授業を見る目だけはずいぶん鍛えられたと考えている。

そして、いつの頃からか教室の中に一歩踏み入れただけで学級の中の雰囲気がわかるようになってきたし、極端な話、その授業に至るまでのことが何となくわかるようになってきた。

そうしたことが廊下を歩いても、何となく教室の中の様子がわかるということにつながっているのだと思う。

このことは、何も私だけのことではない。

ベテランの先生方ほとんどが、私と同じ感覚を持っているだろうと推測する。

 

■学校の中を歩く。

そこで、ときおり気になることが出て来る。

掲示物の画鋲がとれていることがある。

昔、そのことに厳しい校長先生がいた。

当時、私はそのことに反発を覚えていた。

画鋲の一つや二つうるさく言うなら、もっと大事なことがあるのではないか、そんなことを内心思っていた。

しかし、今の私なら反発はしないであろう。

そのことがわかる年齢になった。

問題なのは、画鋲の一つや二つなのではない。

例えば、子供の作品の画鋲がとれていたとしたらどうだろうか。

画鋲のとれた子本人は、どんな気持ちになるだろうか。

そして、知らず、知らず画鋲のとれた作品を毎日のように見る子供たちの心に、どんな感覚が植えつけられていくだろうか。

子供の作品にも「命」や「心」が通っているのだ、その感じ方こそ教師の指導の出発点なのではないか。

 

■下駄箱を見に行く。

ときおり、靴が散乱していることがある。

子供のだらしなさの表れである。

しかし、本人が知らないうちに靴が散乱したのだとしたらどうだろうか。

子供の靴が、他の子に蹴られる。

もしかしたら、記念の靴なのかも知れない。

もしかしたら、父さん母さんがわが子のために買ってあげた特別の意味を持つ靴なのかも知れない。

その靴が誰かに知らず、知らず踏まれたり、蹴られたりするかも知れない。

その状況を見るだけで心が痛む。

子供の心が伝わって来るようで心が痛む。

そんな教師でいたい。

だから、靴が散乱していて平気な教師だけにはなりたくない。

こうした教師の子供へのいとおしさというべきもの、それが教師の指導の出発点である。

学級経営とは、この教師の子供をいとおしく思えるという感覚・感性があって、はじめて充実していくのである。

 

【中略】

 

■これは、ある市での話しである。その市では、何年かに渡って中学校が荒れるという状態が続いていたという。いじめ、万引き、窃盗、恐喝事件等があり、校内の器物も損壊されていたという。そうした状況の学校が一つや二つではなかったという。

この中学校の危機的状況をどのように立て直すのか、教育関係者にとっての緊急の課題であった。まず、初めに市がしたことは、教育行政のトップである教育長を替えることであった。その教育長は、いろいろ考えた。管理職や教師に指導の手を入れることであったのか、地域に問題を投げかけることであったのか、こうしたことももちろん重要ではあると教育長は考えたが、真っ先にしたことはそうしたことではなかった。

教育長がしたことは、中学校のトイレを徹底的にきれいにすること、それを指示したという。そのためには、お金がいくらかかってもよし、としたという。荒れた学校のほとんどが、トイレの便器は壊され、タバコの吸い殻は捨ててあるといったように荒れ放題であった。それが、荒れた学校の特徴の一つでもあった。

 

■昔の人は、「玄関と便所を見るとその家がわかる」と言った。玄関は、その家の「顔」であり、きれいに掃かれ、水打ちされ、靴がきちんとそろえられている、そのことでその家の有り用がわかる。玄関は、その家の「表の顔」であった。玄関が「表の顔」とすると、便所は「裏の顔」であった。玄関をいくらきれいにしても、便所が汚ければ、外面だけを整えた家であり、人様から見えない部分には気をつけることのできない芯のしっかりした家ではないということであった。だれでもが嫌がる汚物の有る便所をきれいにできるということは、まさしくその家に住んでいる人の心を写す鏡であった。

 

■「孟母三遷」という言葉がある。孟子は、幼くして父を亡くし、母親の手で育てられた。はじめは、墓地のそばに住んだ。ところが、孟子は、墓掘り人夫の真似ばかりしていたという。そこで、母親は、それを嫌って家を市場のそばに移す。ところが、今度は商人の真似ばかりする。最後三回目は、学塾のそばに家を移すと、祭の道具を並べ、礼の真似事をするようになったという。母親は、そのことを非常に喜び、「ここが一番ふさわしい子育ての場所である」と言ったという。「孟母三遷」という言葉は、子育てにとっての環境の大切さを説いた言葉なのである。

 

■前述した教育長がしたこと、「学校のトイレを徹底的にきれいにすること」、これにはある種の哲学がある。それもただ、掃除をさせ、きれいにしたというだけでなく、ホテルのトイレのように改装も行ったという。

初め、当然のように「そんなことで本当に学校は変わるのか」「木を見て森を見ないような対策だ」といったような批判もあったという。しかし、その後劇的に学校が変わっていく。環境が、子供を変えていったのである。

 

■私たちは、環境を軽視する傾向にある。子育てにふさわしい、環境を用意してあげることも大事な教育なのである。雑然とした環境からは、粗雑な子供、だらしない教室環境からは、だらしない子供が育つのである。花が飾られ、生き物が生きづいている環境からは、やはり物を慈しむ、しいては心やさしい子供が育っていくのである。

 

■学級経営の充実を考えたとき、私は、この通信にいくつかのことを書いてきた。

一つ目は、

  子供の心を感じられる教師になろう。

ということであった。

そして、具体的には、教室の掲示物や子供の作品を大事にできるようになろうということを書いてきたつもりでいる。

二つ目は、

  教育環境に配慮しよう。

ということ。

例えば、教務では佐々木先生や西村先生を中心として、渡り廊下の掲示板を「学校美術館構想」と銘打って、取り組んでいる。現在は、名画を掲示している。

最近、補教で石井学級や小森学級に入ったのだが、窓辺に花が飾られてあると授業をしながら心和む感じがした。(この花を飾っているのは、お二人の学級だけではなく、学校全体の学級がこのように飾られている)

また、飼育栽培委員会でも、いよいよ苗の移植や種まきが始まる。

昨年もそうだったが、やはり学校が花で飾られていくというのはとっても気持ちのいいものだ。

ところで、職員室の窓辺にある苗は、どうしたのかわかるだろうか。あの苗は、小原さんが2月から御自宅で、種から育ててきたものである。

種の段階から、心を込めて育ててきたものだということを、今後子供に教えていけば、子供の花への接し方も、また違ったものになるのではないかと思う。

最近、旧2年1組がどうなっているかご覧になった方はおいでだろうか。 阿部さんが教室内をきれいにし、いつでも活用できる状態になっている。 教務としては、あの教室を「低学年図書室」にできないものかと考えている。

現在プレールームにある本を、あの教室に移動し、本来的なプレールームに活用できないかと思う。

こうしたことが考えることができるのは、小原さんや阿部さんなど、縁の下の力持ち的に働いている方がいらっしゃるからである。

こうした方の努力に報いるためにも、「環境」を有効に活用できるように、現場の教師が工夫していかねばならないのではないかと思う。

 

さて、学級経営の充実のための三つ目は、

  学級経営と学校行事を連動させていく

ということである。

事務の大橋さんが職員室内の文書を整理し、取り出しやすいようにしたことはもうお気付きと思う。

教頭先生も、過去の文書を取り出してきて、整理している。

その中からすばらしい文書が出てきた。

東小学校が、過去すばらしい伝統を持っているというのは、御存知かとは思う。

例えば、明治図書から『大地に育つ子』という本を出版したこともある。 過去、何人もの優秀な先生方が、この学校から育っているのである。

その秘密とは何か。

それは、個性的でもともと優秀な教師たちだったということだけではない。

学校としての考え方、方法がやはりすごかったのである。

その一端を証明する文書が出てきたのである。

その文書は、今から15年前、花山校長・志和教頭先生時代の学校経営計画の文書である。

この文書を読むと、その当時の先生方のこの東小学校にかける夢やロマンといったものが伝わってくるのである。

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